ちょっと手が離せなかったので、そのまま番組を変えずにラジオを聞いていた。
某ガールズバンドでボーカルやってるリーダーの女の子が気苦労を語っている。
まあ、どんな世界でも人が二人以上集まって何かをやろうとすれば、楽しいことだけではない。
マネジメントにスケジューリング、その上での音楽的なクオリティやプロモーション、きりがない。
その中で曰く、いつもドラムの担当で揉める、ドラムをやりたい女の子がいない、ということだった。
ドラムは家でいえば柱、人でいえば骨にあたる。
壁紙を変えるようにギターが遊んだり、筋肉が躍動するようにボーカルがノリに合わせるということがしにくい。
リズムだけはどんな状況でも正確に刻み続けなければならず、男女差になればアタックの力不足なども如実になる。
最初に受け入れられた電子楽器の有難味がリズムマシーンの機能だった、というのも象徴的であると思う。
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"Scott Pilgrim vs. the World" Edgar Wright Universal Pictures |
皆さんは、カーペンターズの「音」ではなく、「絵」を思い浮かべた場合、どんなイメージが浮かぶだろう。
妹のカレンが正面に出て歌い、その後方で兄のリチャードが座ってピアノを弾く、という絵ではないだろうか。
間違いではないので安心して欲しい、この兄妹はバンドを構成する基本的な楽器類はなんでも弾くことが出来た。
ただ、誰でも得手不得手があって当然だし、好き嫌いがあっても担当になれば仕方がない、やるしかない。
しかしカレンは、ドラムが一番得意で、ドラムが一番好きで、ドラムの担当をいつも望んでいた。
技術的な裏付けもあり、カレンのドラムテクニックは現在でも世界屈指に属する。
一発録りの生音源を後からドラムパートだけ繋ぎ録りしても、繋いだ箇所がまったく解らない、というレベルだった。
電子的な補正や修正がまったく不可能だった時代に、である。
しかし、このドラムに拘ったことが、彼女を拒食症に陥れてしまう。
拒食症になったのは、主に3つの原因が重なったと考えられている。
一つ目は家族関係で、特に母親との確執が酷かった。
二つ目は彼女自身の結婚、うまくいかなかった。
母親からは質実な専業主婦であることを期待され、旦那からは人気に相当する収入を無心された。
三つ目の大きな原因が、カーペンターズの人気と共に彼女がドラムから切り離されていったことである。
「絵」としての印象は薄いと思うが、初期の頃は彼女がドラムとボーカルを担当していた。
ホワイトハウスに招かれた際も、真っ白なイブニングドレスのままドラムに座り、演奏しながら歌っている。
しかし、人気の上昇と共にプロモーターも観客も「女がドラム?」と考える時代だった。
歌っている彼女をドラムで隠すな、もっと人前に、見栄えよく、ステージの一番前に、もっと、もっと彼女を見せろ!
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1970年代の中頃から
人前ではボーカルのみ担当するようになった。
スタジオに入るとマイクより先にいつも
ドラムのスティックを手にしていたといわれる。
Karen on drums, and her brother Richard Carpenter on keyboards in London, 1972 Photo: Chris Walter |
前で痩せたカレンが立って歌い、後ろで背中を向けたリチャードが楽器を弾く。
それが今、一般にイメージされるカーペンターズの「絵」だと思うと・・・無性に、切ない。