June 29, 2014

今日

今日は久しぶりにほぼ一日、雨だった。

名曲「テネシー・ワルツ」は、大御所のハンク・ウィリアムズが歌ったことで最初はカントリーとして広まった。
その後、パティ・ペイジがカバーしてポップスやジャズの要素が取り込まれ、世界的なヒット曲となった。
日本では、進駐軍のアイドルになっていた江利チエミが歌って知られるようになった。

いろいろなバージョンがあるが、江利チエミ版が最も切なく聞こえるのは、雨が降っているからだろうか。

Chiemi Eri's Single EP "Tennessee Waltz & Come On A My House"
Nobuo Hara and His Sharps & Flats

これが収録されたのは、彼女がまだ14歳の時だったそうだ。

June 12, 2014

説得

転職を考えている人がいたとする。

止めた方がいい。
石にかじりついてでも、絶対に転職しない方がいい。
それでも転職したいと言うなら、殴るかもしれない。

目を覚ませ、世間は厳しい。

余程の職歴がない限り。
更に、余程の幸運に恵まれない限り。
転職した人間が認められることは、ない。

まず、ない。

給与、待遇、役職、職責などに対する不満。
上司、部下、同僚、顧客などに対する不満。
疎外感、孤独感、悲壮感、疲労感といった諸々の不満。

そんなのは、どうでもいい不満だ。

It's A Fine Day - "Mind Fruit" Opus III

転職は止めた方がいい。

誰だって、クビになるかもしれない。
会社だって、倒産するかもしれない。
事故や病気で、辞職するかもしれない。

その時がきたら、転職を考えればいい。

転職したら死ぬ、なんてことはない。
その代わり、生きることもない。
ただ食って、ただ糞するだけの人間になる。

給料をATMで引き出す自分と、施しを両手で受け取る乞食の違いが、解らなくなる。

Come Together - "HIStory: Past, Present and Future, Book I" Michael Jackson

それでも転職するって言うなら、もう止めないよ。

June 7, 2014

梟兎

むかしむかし、あるところに、フクロウとウサギがいました。

フクロウは夢を見ることができませんでした。
ウサギは夢を見ることができました。
夢を見たいフクロウは、ウサギに言いました。

「どうして夢を見ることができないのかしら」

ウサギは、それはあなたが夜寝ないからです、と言いました。
フクロウは夜寝ることにしましたが、それでも夢を見ることができません。
怒ったフクロウは、ウサギに言いました。

「夢を見れないなら、あなたを食べてしまいましょう」

慌てたウサギは、こう言いました。
ウサギの国の真ん中には大きな柱があって、その柱のてっぺんに神様が住んでいます。
どうしても夢を見たいなら柱を登り、神様に会ってお願いしなければなりません。

フクロウは柱のてっぺん目指して飛び立ちました。

フクロウは一心に飛び続けましたが、柱のてっぺんに辿り着けません。
フクロウは疲れきってしまい、とうとう羽ばたくのをやめてしまいました。
フクロウは目を閉じると、真っ逆さまに落ちていきました。

神様はフクロウを憐れみ、落ちていくフクロウに夢を贈りました。

フクロウははじめて夢を見ました。
そして、フクロウは地面に落ちて死にました。
ウサギはとても悲しみ、涙を流すと、地面を踏み鳴らしました。

するとどうでしょう。

山が揺れ、海が割れ、ウサギの国は大地の底へ沈んでいったのです。

ミハリス・アウゲリス編纂の「イソップ物語」にのみ掲載されたとする、架空の一篇「柱の王国」の覚え書き
東周斎雅楽 / 魚戸おさむ 「イリヤッド」より

"Mass in C minor, K.427" W.A. Mozart - "Nobel Prize Concert" John Eliot Gardiner, Sveriges TV, Sweden 2008
Conductor : John Eliot Gardiner
Soprano : Miah Persson,  Alto : Ann Hallenberg
Tenor : Helge Rønning,  Bass : Peter Mattei
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra & Monteverdi Choir
Nobel Prize Concert 
Nobel Media AB & EuroArts Music International GmbH

キリエは、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経みたいな感覚だ。

キリエ、アーメン、オーマイゴット、主よ憐れみ給え、主よ然り(在るがままに)、おお我が主よ。
神様も仏様も不信心であることは許してくれないが、便利なことや効率的なことは意外にお許しくださる。
誰でも覚えられる、唱えれば万事オーケー、という文言が必ず用意されている。

聖書は、読み物として、おそらく世界で最もつまらない。

世界で最も売れたかもしれないが、最もつまらない読み物だ。
旧約にしても新約にしても、神様と人間の契約書、あるいは約束事をまとめた本なので当たり前かもしれない。
ただ、当時の教養や道徳、識字率などを考えると、余計なことが極限まで省かれたんだろうな、とは思う。

原因だけ、結果だけ、それらの反応もなれば、感情まで省いて次の章へ飛んだりする。

そんなつまらない読み物なのだが、一方で、解釈によってどうとでも解釈ができる。
宣教師が一問一答しながら、あるいは読み手が自問自答しながら、好きなように解釈ができる。
読み物そのものが貴重だった時代に、物語の土台として、これ以上はないというくらいの素材が詰まっている。

燭台の下の聖書を前にあれこれ思いを巡らせる、昔々、それはそれは、無上に贅沢な一時だったろう。

前述のフクロウとウサギの話は、東周斎雅楽の創作だ。
一時期、東周斎雅楽とは一体誰なのかといろいろな憶測が飛び交ったが、現在は誰なのかが判明している。
この手の話がとにかく上手くて、イソップ物語ならそんな話があってもおかしくない、と見事に騙された。

覚え書きなんで申し訳ないが、要はそんな話だったと思う。