自分も、リベラを知ったきっかけは彼の絵そのものではなく、まったくの別件からだった。
家族総出で上京した際、引越し作業中のサボリによくある話で、漫画本を読み返していたのだ。
そういえば、トロツキーって暗殺されたんだよなあ、そう思いながら安彦良和の「虹色のトロツキー」を閉じた。
これがどこかで気になっていて、新居近くの図書館へ行き、何冊か借りて読んでみたのだ。
レフ(レオン)・トロツキーは亡命先のメキシコでディエゴ・リベラと親しくなり、後に仲違いする。
その直後にトロツキーが暗殺されたので、リベラは容疑者の一人になってしまうのだ。
誰かに例えるのはある意味で失礼だが、解りやすさ優先で書くと、メキシコ版ピカソみたいな画家だった。
モナリザ(ジョコンダ)事件でピカソが容疑者になった話といい、作品数も多ければ愛人も多い等、共通点は多い。
"Self-portrait with Broad-Brimmed Hat" Diego Rivera 1907 |
どうしても、この頃の南米というとプロレタリアートの話になってしまう。
その方面の映画やドキュメンタリーを観ると、壁画運動に染まった街中の様子は必ず取り上げられる。
これは専門家に投げるが、労働階級の底力を壁画に認める、というスタイルが共産圏で流行ったのだ。
ただ、リベラが多作であったことは幸いで、スタイルだけでは括れない作品も多い。
その中のひとつに、「花売り」のシリーズがある。
リベラはカラーの花を好んで描くが、主に売り子たちをモチーフにしている。
日常のワンシーンだったり非日常の裸体だったり様々で、どれがどうというのは好みもあると思う。
共通しているのは、狂い咲きというか、気持ち悪く感じるくらいの、カラーの花の生々しい描写だ。
この、生命力のピークに達して満開になったカラーの花を、農民の夫婦が背負う、という絵がある。
手前に、青い帯で籠を背負う女。
中央に、毒々しいくらいの、ぼんやりと燐光を放つような雰囲気で描かれたカラーの花。
それらの奥に、籠を背負う女を手助けする男がいる。
真正面からの堂々とした、ほぼ正方形の構図に、十字架を見出す人もいるそうだ。
このカラーの花は、地主が買い上げるのか、商人を介すのか、誰に渡るのかは解らない。
間違いないのは、世界の、何処かの、誰かが、この見事なカラーの花の束を、飾る、ということだ。
そうして、もうひとつ、間違いないことがある。
この夫婦の生活には、そういう余裕はない、ということだ。
"The Flower-Seller" Diego Rivera 1942 |
無常に、無為に、ただただ爛漫に咲く花。
屈みこむ女の、地味なショール。
全てを背負い込む重みに、張り詰める帯。
大地を踏みしめる、男の素足。
この夫婦は、働き続けるだろう。
豊かさとは何か。
政治や思想を超えて、尊い絵だと思う。