August 5, 2016

竹下

    久しぶりに「とらや」へ帰ってきた寅。
    しばらくして、小学校の入学式からさくらと満男が帰ってきた。

さくら(諏訪 櫻)
 ただいま・・・お兄ちゃん!

寅(車 寅次郎)
 よお!
 よっ・・・さくら、元気だったか、お前。

さくら
 うん。

おばちゃん(車 つね)
 あのね、寅ちゃんがね、満男の入学式のことちゃーんと覚えててくれてねぇ、
 それでね・・・どうしたんだよ、ばかに元気がないじゃないか。

    うつむき、涙ぐむさくら。
    真新しい学帽を被った満男の頭をなでてやるタコ社長。

さくら
 お兄ちゃん・・・わたし、悔しい。


 どうしたんだ?

おいちゃん(車 竜造)
 何があったんだ、え?

おばちゃん
 どうしたの?


 言ってみろ、早く!

さくら
 入学式が終わって、教室に入って・・・それぞれの席に着いてね、
 先生が一人一人の名前を読み上げるでしょう?

タコ社長(桂 梅太郎)
 みんながハイッ、ハイッ、っと返事するわけだ。

さくら
 そう・・・それで、満男の所にきたらね、先生が「諏訪満男くん」って言って
 満男の顔をちょっと見て・・・「あら、君、寅さんの甥御さんね?」って。
 そう言ったら、みんながドッと笑ったの。

タコ社長
 タハッ、アハハハッ!

おばちゃん
 なにが可笑しいんだい!

タコ社長
 ・・・・・・・・。

    身を乗り出すようにして質す寅。


 その受け持ち(担任)はなんて名前なんだ!

    はっとして顔をあげるさくら。

さくら
 名前、聞いてどうするの?


 校長の所行って掛け合ってやるんだ、受け持ち変えろって!
 冗談じゃねぇ、そんな教師がいるからロクな日本人ができねえんだ!
 ふざけやがって、名前言え、早く!

さくら
 先生はちっとも悪くないわよ・・・ただ「寅さんの甥御さん?」って聞いただけなんだもの。

おばちゃん
 そうだよ、笑った方が悪いんだよ。


 笑ったのはガキ共か、親か!

さくら
 両方よ・・・みんなであたしの方を見て笑ったわ・・・。

    諦めたような表情で再びうつむくさくら、憤る寅。


 ちっきしょう、まったく・・・お前もよくそんなこと言われて黙って帰ってきたな!
 言ってやれ!
 手前どもの息子はな、こんな環境の悪い学校ではとても育てられません!
 早速転校の手続きをとって、もっと上等な学校に入れますって!
 満男!
 お前ももう明日からあんな学校行くな!
 いいか、このおじちゃんがな、きっといいとこ探してきてやる!
 例えば・・・学習院とか慶応大学とか、さくら、ああいう所に入るってのは幾らぐらいかかるんだ、え?

    腹巻から財布を取り出す寅。

さくら
 お兄ちゃん、みんなだって悪気があって笑ったんじゃないのよ?


 馬鹿野郎!
 悪気があるからみんな笑うんじゃねえか!
 タコ、手前ぇさっき笑ってたな!

タコ社長
 あっ、いやいやっ、ごめんごめん!
 いや、そりゃ悪かった悪かった、ごめんごめん・・・でもさ?
 例えば先生が「諏訪満男さん、あら、あなた総理大臣の甥御さん?」こう言って誰かが笑うか?
 笑わねえだろ?
 ところが「あら、あなた寅さんの甥御さん?」こう言うとさ、みんなつい笑っちゃうんだよ!
 ハハハッ!


 ハハハ・・・

タコ社長
 なあ、笑われる方が悪いよ、な?


 そうそう、悪い悪い・・・この野郎ぉ!

    祝儀袋にしたためていた筆でタコ社長の顔面にいきなり落書きをはじめる寅。
    二人を引き離そうと必死になる「とらや」の面々。

おいちゃん
 寅よせっ!こらっ!

さくら
 お兄ちゃん!やめて!

おばちゃん
 およし!二人とも!


 手前ぇ表出ろっ!

タコ社長
 やるかっ!

満男(諏訪 満男)
 やめろよーっ!

    部屋の奥から叫ぶ満男。
    たまらず号泣するおばちゃん。

おばちゃん
 もうっ!
 今日は満男の入学式なのよっ!
 馬鹿っ!

    肩を落とす面々、しかし、怒りが収まらない寅。


 おいちゃん!
 お前ぇも悔しかねえか!

    へたり込み、やっと顔を上げるおいちゃん。

おいちゃん
 悔しいよ!
 そりゃオレだって悔しいよ!
 しかしな寅・・・落ちついて考えてみろ。
 みんなが笑うってことはだよ、今までお前が笑われるようなことをしてきたからなんだ。
 だから悪いのはお前だ。
 そこんとこをよーく考えて・・・


 俺が何したってんだよ!
 俺、今帰ってきたばっかりじゃねえか!
 そうだろ、おばちゃん、え?
 そしたら満男の入学式だって言うからさ、せめて伯父貴の真似事でもしてみてえと思って
 祝儀袋もらって中に金入れて、渡そうと思って待ってたんじゃねえか!
 それがどうしてこういうことになっちゃうんだよ、え?
 一体俺が何悪いことしたって言うんだよ!

さくら
 お兄ちゃん、とにかく分かったから・・・


 うるせえな!
 だいたい手前ぇがメソメソ泣きながら帰ってくるからこういうことになるんだよ!

おばちゃん
 そんなひどいこと言って!


 糞面白くも何ともねえや、まったく!
 俺ぁどっか行って呑んでやらあ!

    思わず手にしていたオタマをカランと投げ捨て、帰ってきたのも束の間、「とらや」を飛び出す寅。

「男はつらいよ ~寅次郎 夕焼け小焼け~」 山田洋次(シリーズ17作目 / 公開1976年)

Shout - "Songs from the Big Chair" Tears for Fears
Fontana / Mercury Records, Phonogram Inc.

あんたどうせ暇なんだから。

ということで先月、落ち込んでいる甥を気晴らしにご所望の場所へ連れて行ってやってくれ、となった。
それがなんと原宿で、しかも竹下通りの店だ、まあ、中学生らしいといえば中学生らしいご所望か。
こちらは修学旅行以来だから竹下通りなんて三十年以上は行ってない、表参道は昔それなりに行ってたが。

凄い人出で、あんな場所にまで都知事選の連中が出張ってるとは思わなかった、夏休みってこともあるんだろう。

Video Killed the Radio Star - "The Age of Plastic" The Buggles
Island Records

その竹下通りの店で、ある展示作品の題名(タイトル)について、こんなことを甥が小声で聞いてきた。

あのさ「無題」ってどういうことなのかな、即答、無題は絶対に駄目だ、論の外だ。
作者とか観客とかどうでもいいんだよ、作品てのはこの世に生まれた以上、作品自身が名前を欲するんだ。
だから、無題ってのは安易、無責任、アホ、バカ、コンチキショウ、作者が自ら作品を捨ててるようなもんだ。

いかん、俺が気晴らししてどうすんだ。

Venus - "True Confessions" Bananarama
London Records

落ち着こう(俺が)。

ちょっと珈琲飲もうか、すると、竹下通りのど真ん中で偶然の幸運。
ごくフツ~の喫茶店を発見、ものすごく派手な綿菓子屋の隣でポツンと営業していた。
ナウ~いカフェなんかに入れるか、それにしても竹下通りの連中はどれだけクレープが好きなんだ。

さて、本当に久しぶりに、ごく普通の喫茶店で、ごく普通の珈琲を飲んだ。

ああ、なんて美味いんだ、美味い。
甥はまともな珈琲のブラックを飲んだのが初めてらしい。
あ、美味しいかも、と、やっと少しだけ明るい表情になった、かな。

こんなんで気晴らしになってくれればいいんだが、どうなることやら。

《追記》
修学旅行当時のカセットテープを思い出して選曲したんだけど・・・まあ十代ってのは、いろいろあるんだよな。

《夜》
博(諏訪 博)
 しかし総理大臣を引き合いに出されちゃ、いくら義兄さんでも可哀想だよ。

だよなあ。