September 7, 2018

隠佳

"The meeting with Boaz took place in winter, 2006.
「ボアズと再会できたのは2006年の冬だった。

ヘブライ語の原題は「ואלס עם באשיר」、日本では邦題「戦場でワルツを」として吹替版も公開されている。
"Waltz with Bashir" Ari Folman
The Match Factory / Sony Pictures Classics

That night, for the first time in 20 years, I had a flashback of the war in Lebanon.
その夜、二十年ぶりに初めて、私はレバノン内戦の記憶がよみがえった。

主人公アリ・フォルマンは監督自身であり、従軍していたレバノン内戦時の記憶を失っている。
"Waltz with Bashir" Ari Folman
The Match Factory / Sony Pictures Classics

Not just Lebanon, West Beirut.
レバノンの西ベイルートだけではないのだ。

ドキュメンタリーであるが「あるシーン」を除き、全てアニメーションによって物語が語られる。
"Waltz with Bashir" Ari Folman
The Match Factory / Sony Pictures Classics

Not just Beirut, but the massacre at the Sabra and Shatila refugee camps."
       Ari Folman

ベイルートだけでなく、サブラーとシャティーラの難民キャンプでも虐殺があったのだ。」
       アリ・フォルマン

実在する複数の人物が一人のキャラクターで表現されるなど、実写では不可能な演出も効果的に使用されている。それでいて、マンションの住人たちが眺める目の前で繰り広げられる市街戦シーンといった、ドキュメンタリー以上にドキュメンタリーなシーンにも驚かされる。
"Waltz with Bashir" Ari Folman
The Match Factory / Sony Pictures Classics

久々に当たりのアニメーション作品だったので、敢えて現状の主流に苦言を呈する。

こういう分野の表現方法に良いとか悪いとかはない。
いつも努めて、なるべく、そう考えて観るようにしている。

それでも、最近の日本で大量生産されるアニメーションの絵柄には反吐が出そうになる。

オタクという単語に恨みはまったくない。
まったくないが、まるで、いわゆるオタクがオナニーのために描いたようなキャラクター。
そういうキャラクターはどんなに美男美女でも、中の人、つまり描いた奴の匂いが滲み出ていて気持ちが悪い。

「What had they done」や「Shadow Journal」など、美しい音楽を担当したマックス・リヒターは西ドイツの作曲家である。
"Waltz with Bashir" Ari Folman
The Match Factory / Sony Pictures Classics

HENTAIと呼ばれて満足ならそれもいい。

が、いい加減に少しは考えた方が作り手自身の為であると思う。
でないと、東京オリンピック頃を境に、ジャパニメーションは消費され尽くすことになるだろう。

でなければ、少なくとも俺が観たいジャパニメーションはその頃には絶滅しているようなな気がする。

"Waltz with Bashir" Ari Folman
The Match Factory / Sony Pictures Classics

アニメーションは、もっと自由な表現方法だったはずだ。