October 29, 2013

秋霜

夜。

年末調整の封筒を脇に挟む。
静かにドアを閉め、鍵をかける。
門灯に照らされた柿は、かなり赤くなってきた。

もう少しで食べれるかな。

&
"Trouble" Ray LaMontagne

空気は、もう冬の匂いだ。

October 27, 2013

Techno 4

テクノ ( Techno 3 / June 8, 2013 )。

インド北部、ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都ダラムシャーラ。

クロード・ラコーム博士は丘へ駆け上がると、通訳に向かって怒鳴った。
それでも、割れんばかりに鳴り響く唱和の中で、博士の声は掻き消されてしまう。
もう一度、通訳はなんとか博士の声を聞き取ると、現地語で「その音色は何処から来たのか」と問いかけた。

集まった数千の民衆は、一斉に天を指した。

人類と宇宙人が初めて意思を交わす際、各地で録音された「五つの音階」(5 notes)を利用することが決定する。
その音源としてアープ社のARP2500が選ばれ、同社から派遣されたのが音響技師のフィル・ドッズだった。
彼はスピルバーグに技術的なアドバイスをしているうちに、そのままキーボード奏者として出演することになった。

バリー少年が「アイスクリーム」と呼んだ眩い未確認飛行物体は、果たして呼応するだろうか。

Steven Spielberg & Phil Dodds aka Philip Van Weems Dodds , ARP 2500 synthesizer
ARP Instruments, Inc. 1976

【 The mid 1970s and early 1980s 】

1970年代の中期頃から、ああ、その当時に聴いた覚えがあるなあっていう曲が一気に増えるんだよね。

電子楽器や電子音楽の音色が、田舎の少年の耳にも入ってくるような時代になった訳です。
もちろん十代になるまでテクノなんていう言葉は知らなかったし、エレクトロという認識はまだ一般的じゃなかった。
ましてやプログレなんて、音楽好きの一部のお兄さんお姉さんしか知らなかったんじゃないかな。

当時は、シンセサイザー(Synthesizer)という言葉で一括りにされていた、というのが素直な印象です。

前回、電子音楽は1970年代の前期頃から「三方分派」していくと書いたんだけど、覚えてないか。
まあ、その中で「そのままの方向」性で進化した分野、つまりクラシック音楽を引き継ぐような要素があったんです。
師匠が認める弟子というか、保守層も受け入れる革新というか、大人に褒められる子供というか。

その頃の日常生活で耳にする電子音楽には、サブカルっぽい雰囲気ってまだ全然なかったんですよ。

むしろメインカルチャーを引き継ぐ王道で、優等生の真面目な音楽、という印象でした。
嘘みたいだけれど、国営放送が流しても恥ずかしくない、電子音楽にはそういう空気があったんです。
特にこの時期は、NHKが番組で使用したことによって知られるようになったシンセサイザー奏者が多いんですね。

もちろん、ごく普通の少年として、シンセサイザーを初めて知ったのは、やっぱりNHKでした。

"Oxygène" Jean Michel Jarre

NHKの番組といっても音楽番組ではなくて、主に科学番組が最初のきっかけでした。

1970年代の後半から1980年代の前半にかけて、NASA/JPLのボイジャーが木星や土星に最接近したんです。
その際のシミュレーションとして、コンピュータ科学者のジム・ブリンが作成したCG映像も同時公開されました。
そういった貴重な映像をNHKが積極的に特集で組んで放送してくれたんですよ。

ほとんどの人にとって、シンセサイザーと同様、本格的なCG映像を初めて見る機会になったと思います。

"Voyager Spacecraft : 35 Years of Flight in the Cosmic Expanse" NASA/JPL
RIA-Novosti Infographics, Russia 2013

なにしろ、タイムボカンのボヤッキーと一緒になって「ポチっとな!」とか叫んでた頃ですから。

ボイジャー1号や2号が、アンテナやセンサーを調整しつつ、姿勢制御のデータに従って正確に飛んでいく。
宇宙空間や惑星群、探査機の複雑な構造、そのどれもが、パースを寸分も狂わせずに滑らかに動く。
もうね、子供心に宇宙旅行を疑似体験しているかのようで、それはそれは食い入るように見た記憶があります。

そういう科学番組のサントラで定番だったのが、フランスのジャン・ミッシェル・ジャール(Jean Michel Jarre)です。

改めて聴くと、国や文化によって物事の捉え方や感じ方が違うのは当然のことなんですよね。
でもね、前述の曲「オキシジェン2」のライブ映像は2011年にモナコ公国で演奏している様子なんです。
これ、厳密にはコンサートではなくて、モナコ大公アルベール2世とシャーリーン公妃の結婚記念式典なんですよ。

ここまで出世したシンセサイザー奏者はいないというか、文化の違いというか、単純にビックリしますね。

"Équinoxe" Jean Michel Jarre

なにしろ、テレビ番組をラジカセで録音して「聴く」ことしか出来ない、ってのが普通でしたから。

小学生の高学年くらいになると、周りの皆がそうだったように、自然にエアチェックするようになる訳です。
エアチェックというのはラジオをカセットテープで云々、面倒なんで、知らない人は調べてください。
それで、いい音が欲しいならFM放送なんだけど、NHK-FMの一局独占という田舎でしたから。

選びようがないので、強制的にNHK-FMを聴くしかない。

中学生になって、やっぱりNHK-FMの深夜番組「クロスオーバー11」で、あれ、これ聴いたことがあるぞ、と。
すると、その曲を聴いた日時をメモして、翌日に本屋か図書館へ行くんです。
そこでラジオ雑誌「FM fan」の番組表を立ち読みで調べて、やっとジャールに辿り着く、という感じでした。

約30年も昔ってのは、そういうペースだったんですよ。

Carl Sagan with a model of the Viking lander, from Ep 5 : Blues for a Red Planet.
NASA/JPL US 1980
お久しぶりです、カール・セーガン博士。

少年時代、あなたに憧れました。
あなたは知性と熱意をもって、国境や文化を越えて、私たちに丁寧に語りかけてくれました。
宇宙のこと、星のこと、そして、人間という知的生命体について。

あなたのような科学者を初めて知って、不登校直前の少年はちょっとだけ勉強に興味を持つことができました。

映像冒頭、あなたの最期を看取ったアニー(アン・ドルーヤン)からの挨拶があって、涙が出ました。
02:00 から始まるオープニングのテーマ曲を聴くと、今でも、夜空を見上げていた少年時代を思い出します。
そして、あなたの画期的な科学番組「コスモス」によって、ギリシャのヴァンゲリス(Vangelis)にも出会えたのです。

本当に、感謝しています。


【 Music Synthesizer 】

厳密には、シンセサイザー・ミュージック(Synthesizer Music)とは言いません。

電子音楽は、シンセサイザーを使っていてもエレクトロニック・ミュージック(Electronic Music)です。
どうしても同義にしたいなら、ミュージック・シンセサイザー(Music Synthesizer)になります。
ただし、当時の国内では誰もが「シンセサイザー音楽」や「シンセ・ミュージック」と呼んでましたよね。

和製の造語でもいいから括らないと困ってしまう、そのくらい流行したんですよ。

いざ流行すると、オリジナル曲の発表を待つだけでは供給が不足してしまう。
すると、既成曲を次から次へ、シンセサイザーでカバーして供給するようになりました。
今では信じられませんが、ガンダムのシンセサイザー組曲までリリースされて、実際に買いましたからね。

しかし、先に書きましたが「王道」で「真面目」すぎたのが国内の「シンセサイザー・ミュージック」でした。

きっちり楽譜を書いて、しっかりピアノを弾ける人が、高価な機材に囲まれて真剣に演奏する。
音楽的にも楽器的にも、敷居が高いという印象があったし、良くも悪くもその印象を売りにした面があったんです。
お小遣いを貯めて、取り敢えずギターを買って、なんてレベルでは到底無理って感じが凄かったですよ。

真似ごとすら難しいとなれば、それは少なからず流行の寿命にも影響を与えたと思います。

"Spiral" Vangelis

そして、もうひとつ。

皆さんは、例えば「宇宙」と聞いた時に、どんな印象を受けるでしょうか。
もちろん、科学的とか、哲学的とか、いろいろあっていいんです。
その中で、神秘的っていう印象も、確かにあると思うんです。

でも、それは、シンセサイザー・ミュージックがやっかいな問題を抱え込む原因にもなりました。

UFOや宇宙人、心霊現象や怪奇現象、マジック等々。
そういう疑似科学やオカルトなどのテレビ番組で乱用される音楽になってしまうんですよ。
これは馬鹿にできない問題で、新興宗教のプロモーションなどで必ずシンセサイザーを使う、みたいな状況になる。

それに何故か、その頃のシンセサイザー奏者というのは、これまた仙人か教祖のような姿格好だったんです。

面白いことに、あれだけ最先端の電子楽器に囲まれながら、科学者のような姿恰好をする人はいなかった。
ブリティッシュ・インベージョンの終焉で行き場を失ったスピリチュアルな要素が逃げ込む場になっちゃったんです。
こういうのは、一般的に、普通の感覚で、田舎の少年から見ても、ダサいってのがあったんですよ。

ナウくない、ってことです。

"Cluster & Eno" Cluster & Brian Eno

流行と模倣の関係はすごく重要なんです。

音楽の素養はないし、楽器も買えないけれど、ファッションだけでも真似したいとかって、重要なんです。
プレスリーと同じリーゼントにするとか、パンクの鋲付き革ジャンを着るとか、そういうのがあるでしょう。
シンセサイザー・ミュージックに影響されても、仙人や教祖みたいな恰好で街を歩こうとは思わなかったもんなあ。

だからなのか、ファッション番組でシンセサイザー・ミュージックを選曲する、なんてことはまず有り得ない。

モテるかモテないか、それだけです。
シンセサイザー・ミュージックはこの点が全く駄目でした。
流行は1970年代の末期から1980年代の前半くらいで、10年なかった、いや、実質5年もなかったかもしれません。

素人ではなく、玄人が模倣も含めて相互に影響しあったのがシンセサイザー・ミュージックなんだと思います。

そこからの脱却に成功した玄人の一人として、イギリスのブライアン・イーノ(Brian Eno)を挙げておきましょう。
クラシック音楽に縛られず、現代音楽に拘り過ぎることもなく、電子楽器をごく自然に受け入れることが出来た人。
シンセサイザー・ミュージックをテレビ東京の「ファッション通信」が喜んで選曲するようなスタイルへ導いた人です。

当時まだ曖昧な概念だった、アンビエント・ミュージック(Ambient Music)の先駆けですね。

Brian Eno is approached by Microsoft corporation to produce
"Windows 95" start-up sound which is 6 seconds length in 1994.

この、ウィンドウズ95の起動音で聴いたことのある人は多いかもしれません。

しかし何といっても、国内で彼の曲を耳にする機会があるとすれば、これが冗談ではなくて、葬儀場なんです。
公私を含めて今迄に何度かお葬式に出席していますが、兎に角よく使われてます。
あるいは、彼の曲の系譜を引き継ぐようなジャンルの音楽、ですね。

本来は、お葬式で流れてる音楽なんて誰も気にしません。

悲しみに暮れているのは勿論だし、あまりにも場違いでないかぎり、意識することはない訳です。
でもそれは、この時期のイーノにとって環境音楽とは何か、という本質に関わる重要なことだったんだと思います。
その場にいる人の感情を余計に刺激することなく、意識と無意識の境界線上にあるような音楽とは。

イーノは「部屋の片隅に置いてある花のような」と、書いてます。

部屋の風景に溶け込んでしまっている一輪の花。
誰も気がつかないけれど、しかし確かに其処に在る花。
そういう音楽があっていい、と。

こういう考え方はクラシック音楽でも、それこそ数百年前から数多の作曲家たちが考えていました。
でも、まだ登場したばかりで自己主張の強い電子楽器の音色で、イーノのように考えた人は少なかった。
電子楽器における環境音楽の思考錯誤は当時のイーノがほとんど済ませちゃってるんですよね。

日頃の生活の中で、お通夜でしか聴く機会がないというのは、あまりにも悲しすぎると思います。

"Apollo: Atmospheres & Soundtracks" Brian Eno

本当に、参りました。

小学校の高学年くらいから、特に中学生ですね、その頃を思い出して参ってしまったんです。
ジャール、ヴァンゲリス、イーノを聴きながら、セーガン博士の本を読んでも難しくて寝入ってしまう。
そういう、鬱屈してて青臭くて、恥ずかしい時期だけれど、思い入れがあったことを再確認しました。

迷ったんですけど、紹介できて良かったと思います。


【 Note 】

20世紀の初頭、ヨーロッパにフューチャリズム(Futurism)という前衛芸術が発生する。

過去の美的感覚を捨て去り、新しい時代、未来へ向けた美的感覚を探求する運動だった。
例えば「機械は人類の到達した究極の美」という思想がファシズムと結びつき、各方面に多大な影響を与えた。
ポルシェの空気力学に基づく流線形のデザインなどは、その代表例だろう。

坂本が1986年に発表したアルバム「未来派野郎」で知り、背伸びしたいお年頃には最適な思想だった。

それは兎も角、イタリアのフューチャリストにルイージ・ルッソロという前衛芸術家がいた。
1913年に論文「騒音(雑音)芸術」を上梓、イントナルモーリ(騒音彫刻楽器)を開発して音の未来を追及した。
翌年に発表した曲「街の目覚め」は、未来の象徴だった自動車のエンジンを始動して始まる朝を表現している。

クラフトワークの「アウトバーン」より60年も早いのだから、細野が限界論を唱えるのも充分に理解できた。

Luigi Russolo and Ugo Piatti with the Intonarumori in Milano 1915

「俺は過去を捨てようとしているのに、過去が俺を捨てようとしないんだ」

スタンリー・スペクターに確かこんな台詞があったと記憶する。
なんでもあり、というが、本当になんでもありという自由はなかなか存在しない。
いろいろな物事に縛られながら、少しずつ、新しい物事が生まれていく。

イギリスのアート・オブ・ノイズ(Art of Noise)は、ルッソロの論文に由来している。

テクノ、あるいは電子音楽。
リアルタイムで聴いていた世代だから、情が入るのは勘弁してほしい。
シンセサイザー・ミュージックには、少年時代の諸々がいっぱい詰まっているのだ。

やっと、これでやっと、1970年代以前から抜け出せたかな、そう思えるようになったのは1980年代の中頃である。

&
"Who's Afraid of the Art of Noise" Art of Noise

現在、電子音楽において権威ある賞、ルイージ・ルッソロ音楽賞は一般にほとんど知られていない。

( Techno 5 : Russia 1-2 / February 20, 2014 )

October 16, 2013

土砂

初めて、土砂崩れというものを見た。

割れて陥没したアスファルト。
雨水に濡れて鮮明になった黄土色は、むしろ真っ赤な色をしている。
レインコートと長靴も役に立たない。

どうなってるんだ、この町は。

【Attention : Explicit Content 】
"Magnolia" Paul Thomas Anderson

どうなってるんだ。

October 9, 2013

六感

昨日、あなたの夢を見ました。

わたしは驚いてしまいました。
平静を装っていましたが、内心は慌てていて、ぎこちなかったと思います。
それでも、素直になっていたつもりです。

会って、話をしたのです。

あなたはごく普通でした。
こちらの一言一言に、笑ったり、つまらなそうにしたり、賛成してくれたり、反対だったり、悪戯っぽくふざけたり。
具体的に何を話したのかは、覚えていません。

目覚めて、あなたが何気ない会話に応じてくれたことをとても嬉しく思いました。

でも、あまりにも鮮明な夢でした。
歯を磨きながら、どうしたのかなと思いました。
顔を洗いながら、少し心配になりました。

あなたを心配できる身ではないけれど、驚くくらい、あなたが鮮明だったのです。

あなたに良いことがあったのなら、本当におめでとう。
あたなに悪いことがあったのなら、大丈夫、その問題はきっと解決します。
あなたに特に何もなかったのなら、あなたに幸運が訪れることを願っています。

着替えて、玄関を出ました。

One Day - Type with one finger

その夜も、濃霧でした。

October 7, 2013

雑談

某月某日。

明後日なのか、数万年後なのか、解らないという話だった。
本当であれば物凄い観測精度になるが、それを数週間後から数ヶ月後だろうと弾き出した天文台がある。
晴れた夜空を見上げれば誰もが目にしている、オリオン座のベテルギウスがついに爆発するらしい。

肉眼で簡単に目視できるので、位置を知らない人は確認しておくといいかもしれない。

映画「マルコヴィッチの穴」が面白いと思った人は観て損はないと思う。
現実の脚本家チャーリー・カウフマンと、架空の双子ドナルド・カウフマンの二役をニコラス・ケイジが演じる。
ペシミスト(悲観主義者)とオプティミスト(楽観主義者)の織り成す劇中劇。

現実と妄想が曖昧になることなんか有り得ねぇよ、という人は、そもそも映画鑑賞に向いていない。

"Adaptation" Spike Jonze

某月某日。

喫煙所にて。
だって男ってさ、調子のいいことしか言わないじゃん。
ご、ごもっとも。

男を代表して謝るよ。

誰をリストラするか、こうなったら平等にクジ引きで決めようじゃないか。
そう提案した自分自身がクジを引き当ててしまい、正直者にも程があると呆れられつつ本当に退職してしまう。
アリアンヌ・アスカリッドの演じる奥さんが出来すぎで、涙が出る。

滋味は、日々の暮らしにある。

"Les Neiges du Kilimandjaro" Robert Guédiguian

某月某日。

この町の名産は何ですかと聞かれたら、雑草です、と答える。
じゃ、この町の産業は何ですかと聞かれたら、草刈りです、と答える。
そのくらい、雑草が伸び放題で、何時も何処かで誰かが必ず、役場の腕章を付けて草刈りをしている。

国道沿いくらい除草剤を撒いてもいいじゃんと思うが、それで食ってる人の職を奪う訳にはいかない。

誰かが「戦争は予測できず、もちろん平和は望ましいが、時には争いのある山へ登ることも必要だ」と答えた。
この、「戦争がある」とも「戦争はない」とも解釈できる発言が、米英の政府とマスコミを大混乱に陥れる。
いわゆる裏の裏の裏の (中略) 裏の裏をかこうとしている内に、開戦の理由すら曖昧になっていく。

いわゆる敵の敵の敵の (中略) 敵の敵は、あのさ、今更なんだけど、本当の敵ってどこの国よ。

"In the Loop" Armando Iannucci

某月某日。

今の仕事に就いて、いろいろと見聞きしていて初めて知った。
美味いバジリコを出してくれる店が少なく、どうでもいいペペロンチーノの店ばかりになってしまう理由。
それは、鮮度が命のバジリコは酸化しやすく、作り置きができないので採算に乗せにくいから。

なるほどね。

久々に観て、思った。
心の扉を閉じている人、あるいは心の扉の開き方が解らない人は、これだけは信じて欲しい。
むしろ、その方が普通なんだということを。

匙加減は慣れでなんとかなる。

&
"Mostly Martha" Sandra Nettelbeck

某月某日。

帰ってきて窓を開け、ラジオのスイッチを入れた。
すると、庭に生えてるキンモクセイの香りがふわっと入ってきた。
それなのに、スピーカーから「シクラメンのかほり」が流れてきた。

嘘みたいにタイミングの悪い、本当の話。

イギリス人だと思って馬鹿にしないでくれ、7分間も「死んでた」ってのは一体どういうことなんだ。
麻酔のミスだった、すみませんて、俺だって歯科医だけどこれが謝って済む問題か。
誰に言ってるって、お前に言ってんだよ、お前だ、お前。

冗談じゃないよ。

"Ghost Town" David Koepp

裏をみせ/表をみせ/散る紅葉(もみじ)

この句は、良寛(大愚)が亡くなる直前に詠んだとされている。
表も裏も含めて自分であり、無為に舞う紅葉のように散ることが出来たら幸いだ、といった意味らしい。
仏教には偽善者の対に偽悪者という存在があるらしく、詳しくは忘れてしまった。

要はニュートラルであれ、ということだろう。

October 3, 2013

廃棄

特売であっても、賞味期限の長い商品は利益が出るような価格に設定する。

例えば、漬物やバターなどの賞味期限は、数ヶ月先の日付になっていることが多い。
これを特売で買い溜めされてしまうと、その後しばらくの間は全く売れないという事態になる。
だから、売れる売れないに関係なく、常に最低限の利益は出るような価格を考える。

一方で、賞味期限の短い商品は赤字覚悟の価格でも設定しやすい。

例えば、豆腐や牛乳などの賞味期限は長くてもせいぜい一週間後くらいの日付だろう。
長期間の買い溜めは不可能で、日常的に最低限の数量は売れるから、特売の赤字くらいは何処かで取り戻せる。
特売の豆腐を使った料理を考えて、関連する食材の価格に豆腐の赤字分を上乗せしてもいい。

基本の基本だが、いざ数百品目ある商品でバランスを取れと命じられても、なかなか上手くいかない。

賞味期限の切れた売れ残りは、全て廃棄処分(ロス扱い)になる。
現金にならず、食べる訳にはいかず、再利用もできない、邪魔な食べ物。
これから焼却されるだけの、厄介な食べ物。

毎朝、廃棄された食品を押し潰して呑み込むゴミ収集車(2t)を見るのが、本当に辛い。

Just What I Am - "Indicud" Kid Cudi, US 2013

食べ物は大切に。

October 2, 2013

仮定

少し前屈みになった時、胸ポケットからタバコが落ちた。

もし、フィッツジェラルドが短編小説を書かなかったら。
もし、最初のキャスティング候補のまま、クルーズやトラボルタが主演だったら。
もし、最後の最後にフィンチャーが脚本を買い取らなかったら。

タバコ代の捻出すら汲々としているのに。

もし、台風が来なかったら。
もし、豆腐の売れ行きが悪くなかったら。
もし、発注の数量を調整するためにパソコンの前に座り、エプロンを脱がなかったら。

タバコは丸々一箱、便器の水に浮いている。

もし、コートを取りに行かず、電話に出なかったら。
もし、呼び止めたタクシーを横取りされず、運転手が休憩などしなかったら。
もし、誰かが寝坊せず、ラッピングを忘れず、靴紐が切れたりしなかったら。

そう考えると、あのタバコは、何かの身代わりになってくれたのかもしれない。

The Curious Case of Benjamin Button - "Tales of the Jazz Age" F. Scott Fitzgerald, US 1922

そう考えて、諦めることにした。