November 23, 2013

些細

ごく普通の仕事に就いていて、ひとつだけ悲しく感じることがある。

タクシーの運転手や派遣で行った保険業務の時などもそうだった。
書類を書いたり備品を選んだり、ちょっとしたメモや注意書きなんかを作って貼るような時。
美的感覚というものが全く、微塵も、これっぽっちも、求められない。

驚くのは、内部だけではなく外部に対して、つまりお客様の目に入るような物事でも大して変わらないということだ。

別に、手作りの注意書きにデザイナーのようなクオリティを求めている訳ではない。
最低限、伝えたい内容を整理して、項目の優先順位などを決め、それらを解り易く簡潔に表示する。
美的感覚以前の、それくらいの配慮があってもいいのではないか、という疑問を持つこと自体が疑問に思われる。

そんな配慮に1分使うなら、1円でも利益を上げることに使ってくれ、と言われる。

実際、民間の中小企業の経費削減は半端じゃない。
美的感覚などという凡そ曖昧な価値は、真っ先に不必要ということになる。
こちらも割り切っているし、ビール瓶の空き箱に座ってるような身分なので、ずっと黙っていた。

ところが、ある日、ある案内書きを見て、とうとう黙っていられなくなった。

"Intouchables" Olivier Nakache & Éric Toledano

片仮名で、グロサリー。

店によってはグロッサリとかグローサリーなどと書くこともある。
不思議なんだけれど、精肉や青果などは日本語なのに、雑貨部門だけはグロサリーと呼ぶ店が多い。
スーパーマーケット、という小売形態が輸入された古い時代からの名残りらしい。

この「グロサリー」を案内書きで使っても、理解できるお客様はほとんどいないと思う。

自分が知ってるから他人も知ってるはずという感覚は、接客業における最悪の欠礼じゃないですか。
ということは、そもそも接客業に向いてない人材がいて、それが判断できない店だと思われるんじゃないですか。
無論そこまで言わず、解りにくいんじゃないですかね、と控え目に進言したつもりだ。

翌日、グロサリーは大きなバッテンで消され、その脇に雑貨、と太いマジックで書かれていた。

"Fruit Stall" Frans Snyders, Vlaanderen 16th Century (1618-1621)
Hermitage Museum

言わなければよかったと後悔して、本当に悲しくなったよ。