最初にイギリスのキューブリックが新しい映画の企画を思いつくんだ。
科学的な考証をアメリカのクラークに頼んで、話し合ってるうちに意気投合してね。
共同で脚本を仕上げて、お互いにその脚本を元に作品を製作しようじゃないかとなった。
それが1968年に公開されたSF映画とSF小説、「2001年 宇宙の旅」(原題 2001: A Space Odyssey)ね。
物語の最後、映画は木星に、小説では土星に到着して、主人公がある部屋に招待されるんだ。
誰にって、こういう言い方はあんまり好きな言い方じゃないけど、うーん、神様的存在と言っていいかな。
人間以上の存在に進もうとする主人公に対して、人間として過ごす最後の部屋を用意してくれたってわけ。
この部屋の解釈については諸説あるんだけど、そこにキューブリックとクラークの考え方が垣間見えるんだ。
キューブリックもクラークも、高級ホテルのスイートルームみたいな部屋、という設定は同じなんだよ。
これは脚本にも書いてある骨子だしね、だけど、具体的にどんな部屋かというのは書いてないから演出になる。
全体のデザイン、壁紙の色、調度品の趣味、そういう小物をどうするか、ってなるじゃん。
それでね、この部屋には壁に絵が飾ってあるんだよ。
キューブリックは王道というか、ここはあんまり深く考えてない気がする。
ああいう人だから映像全体のセンスは凄いと思うけど、古典主義の絵画を適当に並べただけって感じ。
これがね、イギリス人らしいふてぶてしさというか、クラークと比べると一種の怠惰に感じるんだよ。
人間として過ごす最後の部屋に、クラークは、ワイエスの絵が飾ってあるって書いてるんだ。
アメリカ人ていうのは根本的に、孤独に対する不安があるんだと思う。
個人主義と言えば聞こえがいいけど、裏返せば、実は集団や他者に対する自分の位置決めに常に腐心してる。
開拓精神を好むのは、未踏の地に至るっていう絶対的な立ち位置を得るための一番単純な方法論だと思うんだ。
勝者は敗者と並び立つわけにはいかない、だけど、そう望んだ英雄が実は最も孤独な存在になってしまう不安。
飾られてるワイエスの絵は「クリスティーナの世界」(原題 Christina's World)ね。
中学の教科書で観た頃は確かクリスチーナだったけど、まあいいや、彼女はポリオだったんだよ。
体の不自由な彼女にとって、「世界」は自宅とその周辺の原っぱだけなんだ。
集団も他者もいない、勝者も敗者もいない、それでも生きようとする彼女の存在は、英雄よりも聖人に等しい。
クラークがこの絵を選んだ理由について、はっきりと何かを明言した記録はないんだ。
だけど、ワイエスの絵に対する姿勢っていうのは、クラークの作品の根幹に通じるものがあると思うね。
行きつく果て、孤独になった自分が他人を、あるいは孤独になった他人が自分を、お互いに傷つけない世界。
クラークはSFで、ワイエスは絵で、そういう理想郷を描きたかったんだと思う。
偶然なんだけど、ある動画で初めて見てさ。
「クリスティーナの世界」の、特に、あの原っぱの上に描かれてる小屋のてっぺん側ね。
これ、いつも、どれくらいギリギリのフレーミングで描いてるんだろうと思ってたんだよ。
そしたら驚いた、まさかMoMAにあるオリジナルの額を外す映像があるとは思わなかった。
MoMA専属のフレームマン、ピーター・ペレスさんが説明してくれてる。
絵の説明じゃなくてフレーム選びの説明なんだけど、「クリスティーナの世界」の額装についてなんだよ。
01:18あたり・・・凄い、これは凄い、ワイエスは本当にギリギリのフレーミングで描いてるんだな。
ああ、こういう、ミリ単位で丁寧に考えて作業する仕事、羨ましいなあ。
"Refuge, Helga " Andrew Wyeth Dry brush, 1985. |
ヘルガ・シリーズの「隠れ家」を所有してる匿名の個人様、お願いだから美術館に寄託か寄贈してください。