一個人のリスナーとして、音楽史の中でテクノの絶対的な起点を「ここだ」と言い切るのは難しいと思っている。
電子楽器は1970年代に入って急速に発達し、1980年代に入るとごく普通に耳にするサウンドとなった。
電子音楽はそれに伴ってジャンルが多様化し、1980年代の末期には個人レベルの製作も日常となった。
じゃあ、今の時代のこの曲はどうなんだ、と質問されたとしよう。
其レハ、未ダニ、ヨク Wa Ka Ra Na I。
ICH R U - "Out of the Black" Boys Noize |
【 The late 1960s and early 1970s 】
昨年、小学校の高学年になる甥っ子の宿題を手伝った。
ランドセルに音楽の教科書があるというので、甥っ子が問題用紙と格闘する横でパラパラとめくってみる。
すると、史上最も有名なバンドの、史上最も不人気な曲が載っていた。
ビートルズで唯一のレゲエ・ナンバーと評される曲、オブラディ・オブラダ。
やるな、文科省。
Pattie Boyd, Tina Williams, Prudence 'Prue' Bury, Sue Whitman George Harrison, Ringo Starr, Paul McCartney, John Lennon "A Hard Day's Night" Richard Lester, UK 1964 |
頭を撫でられているジョージ・ハリスンは、頭を撫でてくれているパティ・ボイドに一目惚れだった。
この写真から数年後、二人は結婚する。
そして、メンバーたちの関係は急速に悪化していき、1970年に事実上の解散となった。
この頃、最も精力的あるいは真面目に、音楽について考えていたのが一番目立たないジョージだった。
彼は、高価な電子楽器を次々に購入するようになった。
また、パティがインドの文化や宗教に傾倒すると、誘われたジョージはパティ以上にのめり込んだ。
サイケデリック(Psychedelic)な世界こそ未来に相応しいと信じられていたのだ。
現地のグルから直伝された瞑想法によって得られる神秘体験は、彼にドラッグ以上の意味を与えた。
最先端の電子楽器やインドの宗教音楽など、新たな可能性を求めるのはごく自然な成り行きだったと思う。
No Time or Space - "Electronic Sound" George Harrison |
演奏時間が異様に長かったり曲間がはっきりしないというのは、それ自体が当時の実験的な試みだったからだ。
当時、メジャーになったブリティッシュ・インベージョン(British Invasion)は巨大な流行のジャンルだった。
しかも、途方もない金額の富がもたらされれば、大抵の人間が保身を計るのは仕方がない。
しかも、途方もない金額の富がもたらされれば、大抵の人間が保身を計るのは仕方がない。
プロダクションが涎を垂らす元ビートルズという肩書に、彼は彼なりに抗おうと必死だった。
この頃から、ブリティッシュ・インベージョンに甘んじる者と抗う者が、明確に別れていくようになる。
【 Progressive Rock 】
1960年代の末頃から1970年代にかけてプログレッシブ・ロック、いわゆるプログレが誕生する。
コンサバティブ(保守的)な音楽を解体したり融合したりして、プログレッシブ(先進的)な音楽を試みた。
主に欧州のイギリス、フランス、イタリア、オランダなどで盛んになり、特にドイツは群を抜いている。
それを指して、揶揄気味にドイツ語のキャベツに因み、クラウトロック(Krautrock)などとも呼ばれた。
これがロックなのか、と疑問に感じるのは現代人の感覚で、当人たちはこれこそロックだ、と考えていたのだ。
ヨーロッパには伝統的に、悩んだり困ったりしたら東へ行け、というオリエンタリズム(東洋趣味)がある。
サイババに手をかざしてもらって肉食を断てば、神の精神と宇宙の真理に到達できると信じて疑わない。
単なる勘違いなのだが、これは東方各地の民族音楽を再発見、あるいは再評価するきっかけとなった。
また、そういう歴史に埋もれてしまったサウンドを自由自在に再現する手段のひとつに、電子楽器があった。
こちらもオクシデンタリズム(西洋趣味)で汲々としていたのだから、お互い様ではある。
まだ大半の電子楽器が、楽器というよりも科学の実験装置に近かった頃。
プログレの理念には賛成だが、その実験的過ぎる方法論には疑問を持つ、という連中が出始める。
これを指して、一個人のリスナーは勝手に「1970年代の三方分派」と呼んでいた。
録音したカセットを整理していた頃は、そういう適当な雰囲気だけで分類していたのである。
一つ目は「そのままの方向」。
シンセサイザー・ミュージックという王道へ至り、クラッシック音楽と変わらない権威的なスタンスを確立する。
教授か仙人かといった雰囲気のミュージシャンが多く、間違っても破れたジーンズなど穿かない。
二つ目は「重い方向」。
ヘビィメタルやパンクロック、ノイズ・ミュージックなど、電子楽器の重く歪んだサウンドから派生したジャンル。
ミュージシャンの交流に関係なく、ファンはお互いのジャンルを意識しつつも絶対に認めないという特徴がある。
三つ目は「軽い方向」。
ポップやダンス、ジャズやフュージョンなど、いわゆるニュー・エイジやエレクトロのジャンル。
破れたジーンズを穿いてもよい気軽さがある分、そのジャンルは雑多で多岐にわたる。
クラフトワークはメンバーが「くっついたり離れたり」で定まっておらず、未だ瞑想中、じゃなかった迷走中だった。
例えば、あるバンドのある曲を気に入って、別の曲を聴いたら同じバンドとは思えない、という経験があると思う。
この時期のプログレが正にその通りで、無数のミュージシャンが無数の集合離散を繰り返した。
同じバンドでも、アルバムによってメンバーが全く異なり、音楽の方向性が明後日を向く、ということが珍しくない。
従って、同じバンドのアルバムでも、リリースした時期によって公式か否か、といった混乱が生じやすかった。
面白いのは、ジャンルという固定概念を嫌った彼らの音楽が、新しいジャンルのアイデアになっていくことだった。
【 Note 】
ある日、ある授業中、あるアメリカ好きの先生が、ジョン・レノンについて語りだした。
シンシアは純朴で、籠絡したのはヨーコで、故にジョンの正義は堕した、ということだった。
そのジョンも含めて、パティ・ボイドはジョージとの結婚後も様々なミュージシャンからアプローチを受け続けた。
その一人に、電子楽器についてジョージに相談していたエリック・クラプトンがいる。
フレディ・マーキュリーが「エレキ(Electric Guitar)は認めるが、エレクトロは認めん」と怒る時代だ。
クラプトンがギター・シンセサイザー(Guitar Synthesizer)を手にしたことは、賛否両論になった。
ヨーロッパの音楽というのは常に柔軟に変化しているが、その動きは細かく限定的な傾向があると思う。
一方で、アメリカの音楽は変わる時は大きく変わるが、基本的には保守、という気がする。
エレキとギター・シンセサイザーは外見が似ているが、構造は違う。
クラプトンはパティの面影がある妹、ポーラと付き合うようになる。
しかし、それでもパティを諦めきれずに「愛しのレイラ」を作曲。
歌詞の意味に気付いたポーラからは、絶縁状を叩きつけられた。
そのパティとの再婚生活も破綻、直後に手にしたのはアコースティック・ギター(Acoustic Guitar)だった。
電子楽器の登場と発達は、相対的に、従来の楽器の存在意義をも高めることになった、と思う。
アンプラグド(Unplugged)とは「プラグを抜いて」、楽器への電気的および電子的な介在が一切ない状態を指す。
何を想う、クラプトン。
今更ながら、石を投げられる者などいないってことですよ、先生。
( Techno 4 / October 27, 2013 )
この頃から、ブリティッシュ・インベージョンに甘んじる者と抗う者が、明確に別れていくようになる。
Genesis - "Electronic Meditation" Tangerine Dream |
【 Progressive Rock 】
1960年代の末頃から1970年代にかけてプログレッシブ・ロック、いわゆるプログレが誕生する。
コンサバティブ(保守的)な音楽を解体したり融合したりして、プログレッシブ(先進的)な音楽を試みた。
主に欧州のイギリス、フランス、イタリア、オランダなどで盛んになり、特にドイツは群を抜いている。
それを指して、揶揄気味にドイツ語のキャベツに因み、クラウトロック(Krautrock)などとも呼ばれた。
これがロックなのか、と疑問に感じるのは現代人の感覚で、当人たちはこれこそロックだ、と考えていたのだ。
Amboss - "Ash Ra Tempel" Ash Ra Tempel |
ヨーロッパには伝統的に、悩んだり困ったりしたら東へ行け、というオリエンタリズム(東洋趣味)がある。
サイババに手をかざしてもらって肉食を断てば、神の精神と宇宙の真理に到達できると信じて疑わない。
単なる勘違いなのだが、これは東方各地の民族音楽を再発見、あるいは再評価するきっかけとなった。
また、そういう歴史に埋もれてしまったサウンドを自由自在に再現する手段のひとつに、電子楽器があった。
こちらもオクシデンタリズム(西洋趣味)で汲々としていたのだから、お互い様ではある。
Ebene - "Irrlicht" Klaus Schulze |
まだ大半の電子楽器が、楽器というよりも科学の実験装置に近かった頃。
プログレの理念には賛成だが、その実験的過ぎる方法論には疑問を持つ、という連中が出始める。
これを指して、一個人のリスナーは勝手に「1970年代の三方分派」と呼んでいた。
録音したカセットを整理していた頃は、そういう適当な雰囲気だけで分類していたのである。
一つ目は「そのままの方向」。
シンセサイザー・ミュージックという王道へ至り、クラッシック音楽と変わらない権威的なスタンスを確立する。
教授か仙人かといった雰囲気のミュージシャンが多く、間違っても破れたジーンズなど穿かない。
二つ目は「重い方向」。
ヘビィメタルやパンクロック、ノイズ・ミュージックなど、電子楽器の重く歪んだサウンドから派生したジャンル。
ミュージシャンの交流に関係なく、ファンはお互いのジャンルを意識しつつも絶対に認めないという特徴がある。
三つ目は「軽い方向」。
ポップやダンス、ジャズやフュージョンなど、いわゆるニュー・エイジやエレクトロのジャンル。
破れたジーンズを穿いてもよい気軽さがある分、そのジャンルは雑多で多岐にわたる。
クラフトワークはメンバーが「くっついたり離れたり」で定まっておらず、未だ瞑想中、じゃなかった迷走中だった。
Hallogallo - "Neu!" Neu! |
例えば、あるバンドのある曲を気に入って、別の曲を聴いたら同じバンドとは思えない、という経験があると思う。
この時期のプログレが正にその通りで、無数のミュージシャンが無数の集合離散を繰り返した。
同じバンドでも、アルバムによってメンバーが全く異なり、音楽の方向性が明後日を向く、ということが珍しくない。
従って、同じバンドのアルバムでも、リリースした時期によって公式か否か、といった混乱が生じやすかった。
面白いのは、ジャンルという固定概念を嫌った彼らの音楽が、新しいジャンルのアイデアになっていくことだった。
Moonshake - "Future Days" Can |
【 Note 】
ある日、ある授業中、あるアメリカ好きの先生が、ジョン・レノンについて語りだした。
シンシアは純朴で、籠絡したのはヨーコで、故にジョンの正義は堕した、ということだった。
そのジョンも含めて、パティ・ボイドはジョージとの結婚後も様々なミュージシャンからアプローチを受け続けた。
その一人に、電子楽器についてジョージに相談していたエリック・クラプトンがいる。
フレディ・マーキュリーが「エレキ(Electric Guitar)は認めるが、エレクトロは認めん」と怒る時代だ。
クラプトンがギター・シンセサイザー(Guitar Synthesizer)を手にしたことは、賛否両論になった。
ヨーロッパの音楽というのは常に柔軟に変化しているが、その動きは細かく限定的な傾向があると思う。
一方で、アメリカの音楽は変わる時は大きく変わるが、基本的には保守、という気がする。
エレキとギター・シンセサイザーは外見が似ているが、構造は違う。
クラプトンはパティの面影がある妹、ポーラと付き合うようになる。
しかし、それでもパティを諦めきれずに「愛しのレイラ」を作曲。
歌詞の意味に気付いたポーラからは、絶縁状を叩きつけられた。
そのパティとの再婚生活も破綻、直後に手にしたのはアコースティック・ギター(Acoustic Guitar)だった。
電子楽器の登場と発達は、相対的に、従来の楽器の存在意義をも高めることになった、と思う。
アンプラグド(Unplugged)とは「プラグを抜いて」、楽器への電気的および電子的な介在が一切ない状態を指す。
何を想う、クラプトン。
&
Layla - "Unplugged" Eric Clapton |
今更ながら、石を投げられる者などいないってことですよ、先生。
( Techno 4 / October 27, 2013 )