March 1, 2012

下車

ここで降りたら、終わるんだろうな。

電車は各駅停車で東京駅に向かっている。
事務所には寄らず、直行で打ち合わせの相手に会う。
ここで降りたら、終わるんだろうな。

誘惑は甘い。
信じられないくらい、無茶苦茶に甘い。
この甘さは逃避行動の原因のひとつでしかないが、いつしか目的そのものに置き換わる。
置き換わると、もう手の施しようがない。
何故なら、誘惑そのものが目的になり、結果はどうでもいいと考えるようになるから。
幸福を掴もうと逃走を続けたボニー・アンド・クライドのカップルは好例だろう。

煙草や薬の中毒者は、酩酊感や恍惚感を求めている訳ではない。
煙草や薬を理由に、逃避行動を求めている。
肺癌になろうが、廃人になろうが、どうでもいい。
やってる時じゃなく、手にした瞬間が一番気持ちいいからだ。

それでも悲しいかな、悲惨な結末を避けたいという我儘な欲望もある。
だから尚更、自分の中で置き換わりつつある原因と目的の関係を無視しようとする。
実は、無視そのものも逃避行動だ。
恐らく最も辛い無視の症状は、心を閉ざす状態だろう。

一駅、一駅、東京駅に近づく。
一駅、一駅、電車が停まる。
その度にドアに向かって足が出る。
吊皮を握りしめる手が汗ばむ。
ここで降りたら、終わるんだろうな。

降りる、降りない。
選択は無数にある。
それなのに、結果はひとつしかない。

地下に潜って、また一駅。
電車が停まる。
逃げたい。
吐きそうだ。
嘔吐感を抑えようと上半身を伸ばしたら、窓ガラスに反射した自分が見えた。
この顔が人前で調子のいい営業スマイルを振りまく。
素晴らしく気持ち悪いじゃないか。

電車が動き出し、「次は東京駅」というアナウンスが聞こえた。

 Luv Deluxe - Cinnamon Chasers, Mv : Saman Keshavarz