November 6, 2012

予告

続きはネットで!と謳って終わるCMがある。

今迄、この手の続きをネットで見たことはほとんどない。
どの程度の効果があるのかは知らないが、そういうCMが多いということは、効果があるのだろう。
CMの制作会社にしても、入口のクリック数さえ増えてくれれば、その先の中身までは責任がない。

大抵、映画の予告編は助監督に任される。
映画を映画館でしか観賞できなかった時代、予告編は大切な宣伝だったことが想像できる。
助監督は数十秒間で、中身を伝え、観たいと思わせ、作品を覚えさせる工夫をする。

これはマニアの領分になるが、予告編には本編でカットされたシーンが入っていることもある。
本編の完成を待ってから予告編を作ったのでは宣伝に間に合わないから、これは仕方がない。
予告編は、核心さえ突いていれば、本編との誤差は不問になる。

ブラックスプロイテーションを象徴する「コフィー」のポスターも、そういう誤差の好例のひとつだ。
堂々とショットガンを構えるパム・グリアは、アフロヘアと共に未だにイメージが引用されている。
しかし、あの赤いブラに黄色いカンフーパンツという姿では、本編に一度も登場しない。


007の新作「スカイフォール」の予告編が一般に公開された。
問診を受けるボンドの痩せこけた表情に、これは意外に面白いかもしれない、と思った。
それが半年くらい前の話である。

最近の映画は、特に大作は、予告編が何度も公開される。
時間の長短や編集の違いなど、いくつものバージョンが公開される。
では、その映画を今迄以上に観たくなったかというと、そんなことに全くならない。

特に、一般の観客として感想を述べると、ここ15年間程の007は失作続きと言っていい。
いろいろ書きたいことはあるが、とにかく本編が面白くなければどうしようもない。
結果的に、毎回の如く、裏切られた印象しか残らない。

クレイグ以降のキャスティングやリアリズムへのシフトなど、頑張ってるな、とは思う。
それでも、ミス・マネーペニーと冗談をやりとりしていた頃のボンドには勝てない。
キャラクターもアクションも、冗談みたいな設定なのに。

最新最長の予告編を観た。
全篇IMAXだとかアクションだとかは、本当にもうどうでもいいんだよ。
今度こそ、42歳の中年親父でも惚れてしまうようなボンドを見せてくれ。
 
Domino, Paula, Fiona, and Bond - "Thunderball" Terence Young
しかし、問題はバルデムだ。
どう考えても扱いきれるとは思えない、というか、予告編で既に破綻してるような気がする。
シガーを恐れぬとは、本当に恐れ入る度胸だ。


今頃、あの世でフレミングも賭けてるに違いない。