中学生から高校生ぐらいにかけて夢中になって、その後も様々に影響を受けた。
きっかけは小学生の時の Yellow Magic Orchestra から始まるが、それは次に機会があれば述べる。
また、定義や史実、評価などは、個人的でいい加減な感覚でしかないから予め了承を願う。
【 Kraftwerk 】
先に「個人的」と書いたが、ドイツ人の彼らが原点のひとつであることに異論を挟む者は少ないだろう。
世界は広い、面白い、こういう作品が商業的に成り立ち、こういう作品を求めている人間がいるんだ、と感激した。
もし知らなかったら、あるいは影響を受けることがなかったら、その後はかなり違っていただろう。
実は、最初期の作品や、一般的に第一作目として扱われる「Autobahn」は、少々冗長気味としか感じなかった。
彼らにとっても実験的な作品であり、手探りの状態であったことは後のインタビューなどで読んだ。
それでは、所謂「無人島に持って行くなら」セレクションで、マイベストのアルバムを三枚選んでみよう。
1975年の「Radio-Activity」。
タイトルは、真ん中のハイフンがあれば「ラジオ放送中」、なければ「放射能」という意味になる。
アルバムはこのふたつの意味が混在する構成で、曲間の多くはフェードのアウトとインで明確な区切りはない。
ジャケットの意匠はナチス謹製のラジオ DKE38 に因む。
これをレコードで買って擦り切れるまで聴いていたのだから、時代を偲ばせる。
ミュージック・ビデオはまだ一般的ではなく、残っている当時の映像の多くはテレビ出演の際の再編でしかない。
ジャケットを眺めつつ、あるいは目を閉じ、ビジュアルをイメージしながら聴く、というのが普通だったのだ。
一曲目のガイガー・カウンターで測定後、二曲目の「Radioactivity」が始まる。
Radioactivity - "Radio-Activity" Kraftwerk |
1978年の「The Man Machine」。
これも「個人的」にだが、全てに於いて、頂点に達したアルバムだと思う。
テクノ、いや、テクノポップは、このアルバムによって完成し、同時に終わった。
どんなジャンルでも、誕生の原動力になった作品や活動というのは、衝撃の大きさに比してその期間は短い。
この頃から、彼らは自身をコピーしたマネキンを用いてアイロニカルな行動に出始める。
舞台上でカクカク動いて演奏するのがマネキン、観客席に座って微動だにしないのが本人達、ということもあった。
我々は過去のサンプリングに過ぎない、という細野の「リズム限界論またはメロディ限界論」を先んじていた。
アルバムの最後は、アルバムのタイトルと同名である六曲目の「The Man Machine」で幕を閉じる。
The Man Machine - "The Man Machine" Kraftwerk |
1981年の「Computer World」。
ここまでが「原点」と言い切れるアルバムなのではないか。
MIDI規格が定まるのは翌年で、つまり、ここまで彼らは完全なアナログ同期のみで曲作りをしている。
ところで、彼らはドイツ人だから当たり前だが、思考回路の基本言語はドイツ語である。
しかし、知名度の上昇と共に、曲名や歌詞をドイツ語版と共に英語を中心とした外国語版でリリースしていく。
当時の日本では英語版の流通が主流だったから、どれだけオリジナルのドイツ語版を聴きたかったことか。
Kraftwerk はドイツ語の読みでカァフトベルク、英語の読みでクラフトワーク、日本語で発電所、となる。
ボク ハ オンガク-カ、デンタク カタテ ニ。
タシタリ ヒイタリ、ソウサ シテ、サッキョク スル。
コノ ボタン オセバ、オンガク カナデル。
二曲目の「Dentaku」は、産業の米と呼ばれた集積回路を大量生産していた頃の極東バージョンである。
Dentaku - "Computer World" Kraftwerk |
この三枚は今でもよく聴いている。
【 Note 】
書きたいことは沢山あったはずだが、いざ書くとなかなか書けないものだ。
以降のアルバムは、なんというか、よく聴いてはいるものの、まだ書く段階ではないというか。
クラフトワークが、クラフトワーク自体に納まらない存在になってしまったというか。
1974年に第一作目の「Autobahn」を発表した訳だから、来年で驚愕の約40周年ということになる。
単なるファン心理といえば、それまでか。
例えば、Radioactivity は事あるごとに新しいバージョンやリミックスが発表されている。
歌詞は改訂され続けており、ヒロシマ、セラフィールド、ハリスバーグ、チェルノブイリ、といった具合。
2012年には、フクシマが加わった。
それはいい。
しかし、誤解を承知で書けば、歌詞に No Nukes と入れたことに、物凄い違和感を感じた。
名のある公の存在になったが故に、本来の音楽性と掛け離れた要素が多分に入ってくるようになったのだ。
もし手塚が生きていたとして、原子力の申し子だった鉄腕アトムを、鉄腕ソーラーに改名して発表するだろうか。
いや、手塚なら発表するかもしれない、とも思う。
何故なら、ヒューマニストであることが一番儲かるからだ、と公言した人だから。
そして、本当の自分は如何にヒューマニストではないか、を力説する正直な人でもあった。