山々を眺めた時。
ひとつひとつの山頂は、ある程度はっきり見分けることができる。
しかし、山腹になると峰で繋がる部分などがでてきて、山麓になるほど境界は曖昧になっていく。
地層や地質による形成区分などになれば、それはもう地学の話で、一般的に馴染みのある山の話ではない。
しかも、専門家によって定義が異なっていたりする。
こういったことは、どんなジャンルでも同じだと思う。
"Go Supersonic" Pepe Deluxé |
【 Electronic Music 】
電子楽器の黎明期は19世紀末から20世紀初頭にかけ、電気工学の発達と共に始まる。
電気で音を送信したり記録できるなら、電気によって音そのものも合成(シンセサイズ)できるのではないか。
そういう自然発生的なアイデアが、電子楽器としてのシンセサイザーを形作っていった。
従って、この時期はいつ誰が何を発明した、といった明確な特定はできないとされている。
だが、次第にエポックメーキングとなる電子楽器が登場するようになる。
有名なテルハーモニウム(ダイナモフォン)やハモンドオルガン(トーンホイール)などが其れである。
しかし、巨大であったり、高価であったりして、とても個人が所有して演奏するという感覚の楽器ではなかった。
そんな中で、1919年に発表されたテルミン(テルミンヴォクス)は、現在でも世界中に愛好者がいる。
テルミンはロシアの物理学者、レフ・セルゲーエビチ・テルミン博士が開発した。
空間中に発生する静電容量の変化を利用しており、奏者はテルミンに手を触れることなく演奏する。
1928年、実演するテルミン博士の映像が残っている。
カミーユ・サン=サーンス作曲の「動物の謝肉祭」から、第13楽章の「白鳥」である。
Theremin, aka Thereminvox & Lev Sergeyevich Termen, Лев Сергеевич Термен |
二度の大戦を経て、世界は電気工学に加えて電子工学の恩恵を受けるようになった。
当初の電子楽器の開発目標には、レファレンスの役割としてクラシック音楽が念頭にあった。
クラシック音楽を構成する生楽器の代替足り得るか、そして更に、それらを超えることができるか。
シュトックハウゼンやリゲティといった作曲家が挑んでいるが、良くも悪くも現代音楽の域を出ていない。
新しいものを、異質なもの、あるいは見劣りするものと捉えるか。
それとも、既にあるものと同等か、それ以上に新しい可能性を秘めたものとして捉えるか。
この辺りは、送り手と受け手の共通認識という、生きている時代背景も大きく影響しているように思える。
シュトックハウゼンが1955年に作曲した、電子楽器の為の初の合唱曲を現代で実演する姿を見て、そう思う。
Gesang der Jünglinge - "Gesang der Jünglinge / Kontakte" Karlheinz Stockhausen 1955 |
現代に通じる電子楽器は、1960年代に入って登場する。
それが、1964年に発表されたモーグ(モーグ・シンセサイザー)である。
アメリカの電子工学者、ロバート・モーグ博士が開発し、その後の電子楽器における基本構造の決定打となった。
特に、小型化と低価格化を実現し、1970年に発売されたミニ・モーグは一般への普及に大きな役割を果たす。
昨年、このミニ・モーグを模したドゥードゥルがグーグルを飾った。
下図パネルの左上から、マスター・ボリュームを含むミキサー。
次に、音の波形を生成するオシレーター、音質を変化させるフィルター、音色を調整するエンベロープ。
左下から、残響を変化させるモジュレーション、そしてキーボード、となる。
演奏を担うシーケンサー部分は、ドゥードゥルの画面では右側に置いてあるレコーダーによって代替されている。
"Moog Doodle Synthesizer" Google |
話は少し戻るが、1968年には全て電子楽器で演奏されたクラシック音楽が初のミリオン・セラーを記録した。
アメリカの作曲家、ウォルター・カーロスのアルバム「スイッチト・オン・バッハ」である。
初のフル・シンセサイザーであったこと、全てモーグのシステムによって演奏されていることなど、逸話は多い。
面白いのは、初期版のジャケット正面にカーロスの名前がクレジットされていないことである。
その代わり、Performed on The Moog Synthesizer とのみクレジットされている。
敢えてモーグに名誉を譲った彼は、後に性転換してウェンディ・カーロスとなるが、それは余談だろう。
何れにせよ、このアルバムによって電子楽器の音色が一般の耳にも入るようになったのは確かである。
BWV とは、バッハ作曲の目録番号を意味する。
Sinfonia to Cantata No. 29 - "Switched-On Bach" Walter Carlos |
ここで、ある一人の少年を紹介したい。
近未来のロンドンに住む、不良少年アレックスである。
彼は日々凶悪な暴力に明け暮れる一方で、何よりもクラシック音楽を愛していた。
実刑判決によってルドヴィコ療法の被験者となった彼は、最終的に妄想の中で精神を崩壊させる。
このキャラクターを作り上げたのがイギリスの映画監督、スタンリー・キューブリックである。
1972年に公開された映画「時計じかけのオレンジ」では、前述のカーロスがサウンドトラックを担当した。
特に、モーグによって演奏された「第九」や「ウィリアム・テル序曲」などは、今更説明の必要もない。
ただし、個人的に選ぶとすれば、やはりテーマ曲となったパーセル作曲の「メアリー女王葬送曲」に尽きる。
電子楽器でしか成し得ない世界感とエンターテイメント性、これを両立させた初めてのクラッシック音楽だと思う。
カーロスは同監督の映画「シャイニング」も担当し、後にリズバーガー監督の映画「トロン」なども担当した。
キューブリックの作品は、どこをどう切り取っても、あまりにも有名なシーンが多くて迷う。
敢えて、「雨に唄えば」によって、妻を強姦した犯人が誰であるかを老作家が悟るシーンを選んだ。
そして、冒頭のドラッグ入りミルク・バーで流れる、ディストピアを象徴するようなテーマ曲を。
大衆娯楽の代表格であった映画、そして既に名を成した監督に採用され、電子楽器は一気に市民権を得た。
&
"A Clockwork Orange" Stanley Kubrick |
以上の通り、意外に思われるかもしれないが、初期の電子楽器が活躍する舞台はクラシック音楽が中心だった。
1970年代になってモーグを代表とする電子楽器が普及し、小型化や低価格化、併せて高性能化が進んだ。
同時に、一般的なポップ・ミュージックへの導入やサブカルチャーとしてのゲーム音楽などへ繋がっていく。
これらの音楽は広義に、テクノも含め、現在ではエレクトロニック・ミュージックという総称で呼ばれている。
1980年代後半にサンプラーが一般化すると、生楽器を電子楽器に一旦取り込んでから演奏するようにもなった。
2000年以降のボーカロイドなど、最も困難と言われた歌声の合成も普通のパソコンで簡単にできるようになった。
今、聴いている音楽に電子楽器が使われているかどうかなど、気にする人もいないだろう。
そう考えると、一般的な音楽で、電子楽器がいかにも電子楽器らしい音色を奏でていた期間というのは短い。
始まりは早くても1960年代の中頃から、終わりは遅くても1980年代の中頃までではないかと思う。
この期間は、現在に繋がる音楽的な要素が全て出揃った時期でもある。
結果的に、それらの要素を更に細分化するか、ひとつひとつを突き詰めるか、あるいは融合させるか。
方法論に限界が見えるようになって、細野の「リズム限界論」や「メロディ限界論」などが出てきたのだと思う。
後は、シニカルか、コミカルか、くらいしかない。
後は、シニカルか、コミカルか、くらいしかない。
要は、1980年代の中頃までにネタが出尽くしているのである。
【 Note 】
イギリスのジグ・ジグ・スパトニックは、そういう意味では正常だったのではないか。
ロックもパンクも、テクノすら、スタイルになってしまった時点で形骸化し、死んでしまっている。
だったら、ビジュアルも含めてそのスタイルを滅茶苦茶にするしかやりようがないではないか。
そういう突き抜け方は1980年代中頃の世界的な傾向でもあったし、現在は再評価する向きもある。
いい加減な日本語や映像の裏焼きまで当時のまま、デジタル・リマスターが公開された。
Love Missile F1-11 - "Flaunt It" Sigue Sigue Sputnik |
これをベストヒットUSAで観た当時、NTSC規格のレターボックス画面を前にして、ギャグなんだろうなと思っていた。
演じる、というのはある意味で滑稽だ。
そういう意味で、今、テクノらしいテクノは、滑稽にもテクノらしさを演じている、と言える。
何でも出来るようになった電子楽器に、それらしいスタイルを奏でさせている。
もちろん、滑稽のままでは本当に自滅してしまう。
いつまでもクラフトワークに頼っていられない。
というか、クラフトワークでも無理だったのだ。
そう実感したのが、2003年頃だったと記憶している。
Tour de France - "Tour de France Soundtracks" Kraftwerk |