テクノ (
Techno 1 / March 10, 2013)。
簡単に補足してから進めたい。
電子音楽(Electronic Music)の定義は、広げようとすればいくらでも広がる。
専門家にもよるが、コンセントに差し込んで聴く音楽は全て含まれる可能性があるのだ。
過去、テープレコーダーの録再音と合奏する手法が電子音楽の本道とするような人達もいたりした。
何れにせよ拡大解釈すると、ラジオやテレビ、レコード、インターネット、なんでもいい。
電気がなければ成立しない機器や媒体にある音楽は、此れ全て電子音楽と定義できてしまうのだ。
しかしこれでは、民謡や演歌まで電子音楽なのかとなってしまうので、ここでは除外したい。
モナ・リザをモニター越しに観賞したのだから彼女もCGに定義できる、と拘るのは最早哲学の類だろう。
楽器という観点から考えると、多少は電子音楽の定義を狭めやすくなる。
例えば、文字通り電気を用いるエレクトリック・ギター(エレキ)などはシンセサイザーよりも余程早く普及していた。
しかし、エレキは電子楽器に含まれないとされる。
エレキは、弦の振動を拾って電気的に増幅加工している。
シンセサイザーは、弦の振動そのものを電子的に作り出し、それを電気的に増幅加工している。
歌声をマイクで拾うだけなのか、歌声の元となる声帯の振動そのものを音の波形から生成するのか。
これが、電気楽器(Electric Instrument)と、電子楽器(Electronic Musical Instrument)の主な違いである。
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Cirrus - "The North Borders" Bonobo |
【 Robert Moog 】
あまりハードウェアに拘りたくないとは思っているものの、この人物とこの電子楽器だけは避けられない。
ロバート・モーグ博士、通称ドクター・ボブ。
アメリカの電子工学研究者で、モーグ(モーグ・シンセサイザー)の開発者。
1970年代中頃から1980年代前半頃まで、世の中はモーグ的サウンドに支配された。
支配と書いても過言ではないくらい、当時とその後に大きな影響を与えたのだ。
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Dr. Robert Arthur "Bob" Moog (BL), Moog Synthesizer 55 system (BR) Moog Sonic Six (FL), Minimoog (FR) "Moog Synthesizer Brochure" Distributed by Norlin Music Inc. 1974 |
音楽(Music)に流行り廃りがあるように、音(Sound)そのものにも流行り廃りがある。
1964年にモーグが発表された時期には、使い方の解る人間がほとんどいなかった。
文系や理系といった下らない適性は考えたくないが、それでも文系にとってはアレルギーの出そうな代物だった。
演奏するより先に、複雑な設計図を理解する必要があったのである。
それに、高価であった。
研究目的などの大義名分か、映画のようなまとまった資金でもなければ、とても手の届くような代物ではなかった。
基本的なシステムを組んだだけで、現在の価格で1000万以上したのである。
そして、この電子的なサウンドをどうやって活かせばよいのかを知るミュージシャンがいなかった。
試験的にモーグを導入した最初期のポップ・ミュージックに、1967年のモンキーズ「スター・コレクター」がある。
しかし聴いてみると、エレキやエレクトーンでも代用できたんじゃないか、という程度の使い方だ。
ビートルズも解散直前の名盤「アビイ・ロード」でモーグを使用するが、アピールするような使い方ではなかった。
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Star Collector - "Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd." The Monkees |
ブリティッシュ・インベージョン華やかりし頃、という時代背景は影響していただろう。
1970年にミニモーグが発表されたのは、いろいろな意味で運命的であったと思う。
急速に、月面着陸への意欲は失われ、ベトナム帰還兵は厄介者になっていく。
浮浪者にしか見えなかったラブ・アンド・ピースなヒッピー達も、単なる浮浪者へ戻っていった。
メジャーになったカウンター・カルチャーの数々は、最早カウンター(抵抗)としての意味を失っていた。
1970年代も中頃になると、ブリティッシュ・インベージョンもいい加減に飽きられ始めていたのだ。
パンクの神様は、セックス・ピストルズを1976年に誕生させている。
クラフトワークは四苦八苦してミニモーグを導入、1974年に公式1stアルバム「アウトバーン」を発表した。
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Autobahn - "Autobahn" Kraftwerk |
音(Sound)そのものに流行り廃りがあり、それが音楽(Music)にも影響を与えている。
モーグによって基本構造が出来上がったとはいえ、当時の電子楽器は試行錯誤の連続だった。
また、ミニモーグの大きな成功は、同時に他社が参入する理由となって競争が激化していく。
こういった状況の中で、開発者のモーグ博士は様々なミュージシャンと交流を深めた。
実際、モーグ博士の好意でシステムや試作品を丸借りして曲作りをしていたミュージシャンも多かったのだ。
【 Giorgio Moroder 】
ジョルジオ・モロダー。
作曲家、シンセサイザー奏者、プロデューサー。
肩書は多いが、現代的なディスコ・ミュージックの始祖と称される。
クラフトワークは、嫌味な言い方をすれば、音楽や芸術といった分野における一種のテクノクラート達に愛された。
モロダーの場合は、世間一般、ごく普通のヒットチャートに入る音楽においてこよなく愛された。
この違いは、凄まじく大きい。
懐かしのディスコ・ミュージック特集になれば、彼の手掛けた曲は必ず入る。
デビューさせた新人や関わったミュージシャンは数多く、名前くらいは耳にしたことがあるという人が多くなる。
映画のサントラでも「フラッシュダンス」に「ネバー・エンディング・ストーリー」、「トップ・ガン」等々、枚挙に暇がない。
余談だが、モロダーはスーパー・カーの会社も設立しており、現在でも受注生産で購入が可能だ。
ランボルギーニをベースにした「チゼータ・モロダーV16T」が其れで、ハイエンドのカー・オーディオを搭載する。
0-100km/h が 4.4sec というモンスター・マシンなので、ハイエンドも何もエンジン音で掻き消されるとは思うが。
恐らく、電子音楽というジャンルおいて、最も大きな富を得た人物である。
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"Cizeta-Moroder V16T" Cizeta Automobili |
モロダーの記録を振り返ると、モーグに混じってローランドやヤマハが混じりはじめる時期がある。
1970年代後半頃から、彼はそういった電子楽器のサウンドで「ウケる曲」を次々に発表していく。
ステージで、シーケンサーの役目を担うキーボードをベースに演奏するというスタイルも彼が最初の一人である。
1977年、多くの人々はドナ・サマーの「アイ・フィール・ラブ」によって、彼のサウンドとスタイルを知ることになった。
今回は、動画を視聴してもらう前に少し説明しておきたい。
一つ目の動画はテレビ番組「The Midnight Special」とツアー「Once Upon a Time」の映像がミックスされている。
このミックスされた映像に、アルバムのレコーディング音源が被せてある。
二つ目の動画は、テレビ番組「The Midnight Special」だけの映像だ。
番組で収録されたライブ音源もそのままである。
また、アスペクト比もこちらの映像の方が正しい。
これら二つの動画を比較すると、モロダーと電子楽器の組み合わせによる功罪が示されている、と思うのだ。
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I Feel Love - "I Remember Yesterday" Donna Summer |
よく、来日した外タレの口パクが話題になるが、それは正しくもあり、間違いでもある。
もちろん、ドナの歌唱力を疑う者はいない。
ただ、アルバムのレコーディング音源とテレビ番組のライブ音源を比べれば、やはり完成度は別次元になる。
他の歌手の為に用意されたとはいえ、白いグランドピアノやオーケストラの出番が全くないのも印象的だ。
モロダー以前にも、スタジオとライブは別物という認識はあった。
国内では今でも、いや、未だに、アルバムは単にアルバムの一言で片付けられてしまうことが多い。
モロダー以後の国外では、スタジオ・アルバムなのか、ライブ・アルバムなのか、予め断ることが多くなった。
モロダーと電子楽器の組み合わせ、そしてその成功は、スタジオでのレコーディング技術を一気に加速する。
これに、ミュージック・ビデオの一般化が更に拍車をかけた。
アルバムでは素晴らしい演奏や歌唱力、ステージでは別人かと疑いたくなるようなミュージシャンやシンガー。
1980年代以降、特にアイドルなどは文字通りモニターの中だけでしか存在し得ないような、本物の偶像となる。
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From Here to Eternity - "From Here to Eternity" Giorgio Moroder |
ただし、モロダーの功績も大きい。
彼のスタジオ・アルバムから二曲を紹介したい。
既に完成されたサウンドが聴ける1977年の「From Here to Eternity」と、1978年の「Chase」である。
二曲目の「Chase」は、もともとアラン・パーカー監督の映画「ミッドナイト・エクスプレス」のサントラだった。
脱獄の隠語でもある「深夜特急」の物語は、国際的な犯罪人引渡協定を求める政治運動の契機となった。
ちなみに、まだ無名であったオリバー・ストーン監督が脚本を担当しており、アカデミー脚色賞を受賞している。
モロダーは作曲賞で最初のオスカー像を手にすることになった。
それらの反響を全て呑み込んで、シングルカットされた「Chase」が各国のディスコやナイトクラブを席巻していく。
ミュンヘンサウンドやイタロディスコ、その後に続くミニマル、ハイエナジー、ユーロビート、ハウス。
もちろん、テクノも含まれる。
現在に至るまで、その功績と影響は計り知れない。
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Chase - "Midnight Express : Music From The Original Motion Picture Soundtrack" Giorgio Moroder |
【 Note 】
実は今回、紹介したかった人物がもう一人いる。
モーグ博士曰く「ロック史上、初めてシンセサイザーを正しく用いたミュージシャン」、キース・エマーソンだ。
しかし、時間には限りがあるし、風呂敷を広げ過ぎると書き手も読み手も混乱すると思ったので諦めた。
これは自慢だが、一度だけ本人を見たことがあるので、また機会があれば紹介したい。
ところで昨年、クラフトワークのファンやマニアの間である噂が飛び交った。
ついに新曲をリリースか、という動画が YouTube にアップされたのだ。
知らない人が視聴したら、本物かと思ってしまうほどの偽物だった。
よく出来ているのだ。
2011年に 2011klingklang、2012年に 2012klingklang というアカウントで、其々一曲づつアップされている。
クリング・クラング(kling klang)とは独語の擬音で鐘の音「キンコン」を意味し、クラフトワークのレーベルでもある。
サウンド、ビジュアル、タイトル、どれもが如何にもな雰囲気で、特に「Musique Electronique」は完成度が高い。
プロフィールではアメリカということだけが明かされているが、結局は何が本当の情報なのか、誰も知らない。
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Thumbs-up to 2012klingklang! |
彼は太い口髭を撫でると、カー・オーディオのイルミネーションに手を伸ばした。
オート・エミュレータの如きリミックス群の中から、ムジーク・エレクトロニークを選ぶ。
加速することしか知らないチゼータ・モロダーV16Tが、制限速度なしのアウトバーンを走り抜ける。
真っ黒なポルシェ・サングラスの下の素顔は、誰も知らない。
その瞬間、1980年代は「地上より永遠に」なった。
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Techno 3 / June 8, 2013)