日常的に洋楽を聴いていて、違和感を感じることがある。
それは、ミュージシャンが政治や宗教について明言することだ。
政治なんて信用できない、神様なんて嘘っぱちだ、という話ではない。
有名なミュージシャンほど公の場で、支持する政党や信仰する宗教について明言する。
全部が全部ではないが、特にアメリカでこの傾向が強い。
ヨーロッパのミュージシャンも、アメリカで活躍している場合は大抵何かしらを明言している。
仮に、支持する政党がなく、信仰する神様がなかった場合、アナキストか変人の扱いだ。
若い国だから仕方がないのかな、とは思う。
どこに所属してもいいという自由は重要なのだが、どこにも所属しなくていいという自由には価値がない。
それは、お互いに所属先と、その中での仲間意識を確認しないと不安だから、ということか。
音楽関係はほぼ民主党寄りで、業界や組合もそれに倣った動きを見せる。
|
Reagan - "R.A.P. Music" Killer Mike |
映画「エクソシスト」は、歴史に残るホラーの傑作とされている。
もちろん、公開当時の特殊効果としては衝撃的な映像であったことは理解できる。
しかし、そういうテクニカルな映像というのは、時代が過ぎればどうしても貧相に見えてしまう。
ところが、エクソシストは未だに怖い映画の筆頭として捉えられている。
つまり、怖さのポイントは映像ではないのだ。
当たり前だが、何を怖く感じるかは、社会や文化、育ってきた環境などが大きく影響する。
一番多くの観客が失神したのはアメリカで、これは宣伝文句でも積極的に謳われていた。
しかし実際に観賞してみて、もちろん怖いことは怖いが、身の回りで失神してしまったという話は聞かない。
何が怖いのか。
カラス神父は、メリン神父と共に悪魔祓いに挑み、神を疑うようになる。
これがもう、身震いするほど怖いポイント、らしいのだ。
例えば、もうひとつのホラーの傑作、映画「シャイニング」は公開後、あらゆる点が様々に模倣されてきた。
しかし、エクソシストでは、映像は模倣されたが、核心部分だけはほとんど模倣されたことがない。
そのくらい、信じるモノを疑うというのは禁忌のテーマなのか。
続編ですら、それには触れていないのだから。
|
Tubular Bells - "The Exorcist" William Friedkin |
正月は神社、お盆は寺、クリスマスは教会、投票日は忘れてました、という感覚では何れも理解し難い。