November 14, 2016

複写

一昨年、クリスティーズに「聖プラクセディス」が出た。

首を切り落とされて殉教したキリスト教徒、その血を拭い清める聖プラクセディス、という一枚の油絵である。
これをある匿名の人物が約10億円で落札し、なんとそのまま上野の国立西洋美術館に寄託すると申し出た。
寄託であって寄贈ではないから所有権は匿名の人物のまま(つまり個人蔵)だが、常設展示されることになった。

丁度一年くらい前になるか、甥をダシにして一緒に国立西洋美術館へ向かった。

Saint Praxedis
Attributed to Johannes Vermeer
Oil on canvas, 102 cm × 83 cm, circa 1655
National Museum of Western Art, Japan
あった、「聖プラクセディス」。

綺麗だ、綺麗としか言葉が出ない、なんて綺麗な赤なんだ。
色々な色がある中で、実は赤はあまり好きな色ではない、個人的に苦手な色のひとつが赤といってもいい。
しかしこれだけは断言できる、この赤を正確に複写できるメディアは「ない」、画像検索なんか糞喰らえだ。

そして話には聞いていたが、この赤い布の質感にも驚いた。

サテンのようなベルベットような、光沢というよりも、布が自ら発光しているようにすら感じられる。
約360年を経てこの色味、この質感、これが保護ガラスなしで前屈みになると目の前50cmくらいで鑑賞できる。
入館料は大人430円、しかも甥は保護者ありということで無料になるんだから、バチがあたりそうだ。

気が付いたら一時間近く眺めていただろうか、呆れた甥はとっくに休憩していて、このバチあたりめ。

Mona Lisa Smile - "willpower" will.i.am
will.i.am Music Group / Interscope Records

よし休憩も終わったし、もう一度、本題を考えながら見るぞ。

本題とは、「聖プラクセディス」は誰が描いたのか、だ。
今のところ、オランダの画家ヨハネス・フェルメールが描いた、ということになっている。
断言できるまで至っていないので、但し書きも「フェルメールに所属」(Attributed to Johannes Vermeer)だ。

もし彼の真作であると断定できるような画商の売買履歴などが出たら、たった10億じゃ落札は無理だったろう。

この「聖プラクセディス」、実は模写であることが判明している。
オリジナルは、イタリアの画家フェリーチェ・フィチェレッリが1618年から1650年頃に描いた「聖プラクセディス」。
構図から色合いからトレースしたように同じなんだが、ある一点だけが全く異なる。

フェルメール作とされる聖プラクセディスは十字架を手にしているが、フィチェレッリ作には十字架がない。
※最初のクリスティーズの動画で、01:03~01:15頃の「聖プラクセディス」がフィチェレッリ作。

構図から色合いから完璧以上の「コピー」のはずなのに、あざといくらいの位置に十字架を加えたのは何故か。
彼ほどの腕をもった画家が平凡な作品の模写を、しかもオリジナルを超える技巧で描く必要があったのは何故か。
しかも、フェルメールとフィチェレッリの二人が連名した、ように見える不思議な署名が入っているのだ。

この二人には直接的な繋がりがないということがはっきりしているのに、何故なんだ。

Girl with a Pearl Earring
Johannes Vermeer
Oil on canvas, 44.5 cm × 39 cmc, 1665
Mauritshuis, Netherlands

フェルメールは、真作と断定できる作品が三十数枚しかない(研究者によっては三十枚を切る)。

人気があるので贋作も後を絶たず、天才的な贋作画家メーヘレンの贋作なんか偽物なのに人気があるくらいだ。
ただ、なんの根拠もないけれど、国立西洋美術館の「聖プラクセディス」は自分の目で見て、本物だと思った。
誰が描いたかは特定できないけれど、少なくとも本物の誰かが描いた作品であることは間違いない、と思った。

それには理由があって、フェルメールについて前々から感じていたことで、はっきり確信したことがあるからだ。

現在、彼の真作であり代表作とされる「真珠の耳飾りの少女」。
専門家から引っ叩かれそうだが、実はこれ、フェルメールの作品じゃないんじゃねえの、と思っていたのだ。
筆遣いという点で「真珠の耳飾りの少女」は、他のフェルメールの作品とは微妙に違うような気がしていたのだ。

ところがだ、「聖プラクセディス」と「真珠の耳飾りの少女」は筆遣いに通じるものがある、と思った。

直感でしかないけれど、特に布地を描く筆遣いに共通点があるような気がする。
「聖プラクセディス」と「真珠の耳飾りの少女」を描いた画家は、筆が立て気味だったんじゃないかと思う。
筆を寝かせるんじゃなくて、どちらかというと立て気味にして細かく動かすように描く癖があったんじゃないか。

つまりだ、フェルメールと混同されてしまった別人、まだ未発見の天才的な画家がいるんじゃないか。

フェルメールはもともと商業画家で、人望があったから画家組合の理事なんかもやっていた。
名義貸しや暖簾分けがあってもおかしくないし、それなら制作年代と技巧成熟度のズレといった問題も解決する。
ああでもないこうでもない、お前はどう思うと聞いたら、甥は「まるでコナン君だね」だって。

おいちゃん、疲れたよ。

I don't need to know anything about the people I photograph,
but it's important that I recognize something about myself in them.
      Rineke Dijkstra

私が写真を撮っている相手について何かを知る必要はありません、
しかし、写真を撮っている自分自身は何であるかを意識することは重要です。
      リネケ・ダイクストラ