テクノ (
Techno 3 / June 8, 2013 )。
インド北部、ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都ダラムシャーラ。
クロード・ラコーム博士は丘へ駆け上がると、通訳に向かって怒鳴った。
それでも、割れんばかりに鳴り響く唱和の中で、博士の声は掻き消されてしまう。
もう一度、通訳はなんとか博士の声を聞き取ると、現地語で「その音色は何処から来たのか」と問いかけた。
集まった数千の民衆は、一斉に天を指した。
人類と宇宙人が初めて意思を交わす際、各地で録音された「五つの音階」(5 notes)を利用することが決定する。
その音源としてアープ社のARP2500が選ばれ、同社から派遣されたのが音響技師のフィル・ドッズだった。
彼はスピルバーグに技術的なアドバイスをしているうちに、そのままキーボード奏者として出演することになった。
バリー少年が「アイスクリーム」と呼んだ眩い未確認飛行物体は、果たして呼応するだろうか。
|
Steven Spielberg & Phil Dodds aka Philip Van Weems Dodds , ARP 2500 synthesizer
ARP Instruments, Inc. 1976 |
【 The mid 1970s and early 1980s 】
1970年代の中期頃から、ああ、その当時に聴いた覚えがあるなあっていう曲が一気に増えるんだよね。
電子楽器や電子音楽の音色が、田舎の少年の耳にも入ってくるような時代になった訳です。
もちろん十代になるまでテクノなんていう言葉は知らなかったし、エレクトロという認識はまだ一般的じゃなかった。
ましてやプログレなんて、音楽好きの一部のお兄さんお姉さんしか知らなかったんじゃないかな。
当時は、シンセサイザー(Synthesizer)という言葉で一括りにされていた、というのが素直な印象です。
前回、電子音楽は1970年代の前期頃から「三方分派」していくと書いたんだけど、覚えてないか。
まあ、その中で「そのままの方向」性で進化した分野、つまりクラシック音楽を引き継ぐような要素があったんです。
師匠が認める弟子というか、保守層も受け入れる革新というか、大人に褒められる子供というか。
その頃の日常生活で耳にする電子音楽には、サブカルっぽい雰囲気ってまだ全然なかったんですよ。
むしろメインカルチャーを引き継ぐ王道で、優等生の真面目な音楽、という印象でした。
嘘みたいだけれど、国営放送が流しても恥ずかしくない、電子音楽にはそういう空気があったんです。
特にこの時期は、NHKが番組で使用したことによって知られるようになったシンセサイザー奏者が多いんですね。
もちろん、ごく普通の少年として、シンセサイザーを初めて知ったのは、やっぱりNHKでした。
|
"Oxygène" Jean Michel Jarre |
NHKの番組といっても音楽番組ではなくて、主に科学番組が最初のきっかけでした。
1970年代の後半から1980年代の前半にかけて、NASA/JPLのボイジャーが木星や土星に最接近したんです。
その際のシミュレーションとして、コンピュータ科学者のジム・ブリンが作成したCG映像も同時公開されました。
そういった貴重な映像をNHKが積極的に特集で組んで放送してくれたんですよ。
ほとんどの人にとって、シンセサイザーと同様、本格的なCG映像を初めて見る機会になったと思います。
|
"Voyager Spacecraft : 35 Years of Flight in the Cosmic Expanse" NASA/JPL RIA-Novosti Infographics, Russia 2013 |
なにしろ、タイムボカンのボヤッキーと一緒になって「ポチっとな!」とか叫んでた頃ですから。
ボイジャー1号や2号が、アンテナやセンサーを調整しつつ、姿勢制御のデータに従って正確に飛んでいく。
宇宙空間や惑星群、探査機の複雑な構造、そのどれもが、パースを寸分も狂わせずに滑らかに動く。
もうね、子供心に宇宙旅行を疑似体験しているかのようで、それはそれは食い入るように見た記憶があります。
そういう科学番組のサントラで定番だったのが、フランスのジャン・ミッシェル・ジャール(Jean Michel Jarre)です。
改めて聴くと、国や文化によって物事の捉え方や感じ方が違うのは当然のことなんですよね。
でもね、前述の曲「オキシジェン2」のライブ映像は2011年にモナコ公国で演奏している様子なんです。
これ、厳密にはコンサートではなくて、モナコ大公アルベール2世とシャーリーン公妃の結婚記念式典なんですよ。
ここまで出世したシンセサイザー奏者はいないというか、文化の違いというか、単純にビックリしますね。
|
"Équinoxe" Jean Michel Jarre |
なにしろ、テレビ番組をラジカセで録音して「聴く」ことしか出来ない、ってのが普通でしたから。
小学生の高学年くらいになると、周りの皆がそうだったように、自然にエアチェックするようになる訳です。
エアチェックというのはラジオをカセットテープで云々、面倒なんで、知らない人は調べてください。
それで、いい音が欲しいならFM放送なんだけど、NHK-FMの一局独占という田舎でしたから。
選びようがないので、強制的にNHK-FMを聴くしかない。
中学生になって、やっぱりNHK-FMの深夜番組「クロスオーバー11」で、あれ、これ聴いたことがあるぞ、と。
すると、その曲を聴いた日時をメモして、翌日に本屋か図書館へ行くんです。
そこでラジオ雑誌「FM fan」の番組表を立ち読みで調べて、やっとジャールに辿り着く、という感じでした。
約30年も昔ってのは、そういうペースだったんですよ。
|
Carl Sagan with a model of the Viking lander, from Ep 5 : Blues for a Red Planet. NASA/JPL US 1980 |
お久しぶりです、カール・セーガン博士。
少年時代、あなたに憧れました。
あなたは知性と熱意をもって、国境や文化を越えて、私たちに丁寧に語りかけてくれました。
宇宙のこと、星のこと、そして、人間という知的生命体について。
あなたのような科学者を初めて知って、不登校直前の少年はちょっとだけ勉強に興味を持つことができました。
映像冒頭、あなたの最期を看取ったアニー(アン・ドルーヤン)からの挨拶があって、涙が出ました。
02:00 から始まるオープニングのテーマ曲を聴くと、今でも、夜空を見上げていた少年時代を思い出します。
そして、あなたの画期的な科学番組「コスモス」によって、ギリシャのヴァンゲリス(Vangelis)にも出会えたのです。
本当に、感謝しています。
【 Music Synthesizer 】
厳密には、シンセサイザー・ミュージック(Synthesizer Music)とは言いません。
電子音楽は、シンセサイザーを使っていてもエレクトロニック・ミュージック(Electronic Music)です。
どうしても同義にしたいなら、ミュージック・シンセサイザー(Music Synthesizer)になります。
ただし、当時の国内では誰もが「シンセサイザー音楽」や「シンセ・ミュージック」と呼んでましたよね。
和製の造語でもいいから括らないと困ってしまう、そのくらい流行したんですよ。
いざ流行すると、オリジナル曲の発表を待つだけでは供給が不足してしまう。
すると、既成曲を次から次へ、シンセサイザーでカバーして供給するようになりました。
今では信じられませんが、ガンダムのシンセサイザー組曲までリリースされて、実際に買いましたからね。
しかし、先に書きましたが「王道」で「真面目」すぎたのが国内の「シンセサイザー・ミュージック」でした。
きっちり楽譜を書いて、しっかりピアノを弾ける人が、高価な機材に囲まれて真剣に演奏する。
音楽的にも楽器的にも、敷居が高いという印象があったし、良くも悪くもその印象を売りにした面があったんです。
お小遣いを貯めて、取り敢えずギターを買って、なんてレベルでは到底無理って感じが凄かったですよ。
真似ごとすら難しいとなれば、それは少なからず流行の寿命にも影響を与えたと思います。
|
"Spiral" Vangelis |
そして、もうひとつ。
皆さんは、例えば「宇宙」と聞いた時に、どんな印象を受けるでしょうか。
もちろん、科学的とか、哲学的とか、いろいろあっていいんです。
その中で、神秘的っていう印象も、確かにあると思うんです。
でも、それは、シンセサイザー・ミュージックがやっかいな問題を抱え込む原因にもなりました。
UFOや宇宙人、心霊現象や怪奇現象、マジック等々。
そういう疑似科学やオカルトなどのテレビ番組で乱用される音楽になってしまうんですよ。
これは馬鹿にできない問題で、新興宗教のプロモーションなどで必ずシンセサイザーを使う、みたいな状況になる。
それに何故か、その頃のシンセサイザー奏者というのは、これまた仙人か教祖のような姿格好だったんです。
面白いことに、あれだけ最先端の電子楽器に囲まれながら、科学者のような姿恰好をする人はいなかった。
ブリティッシュ・インベージョンの終焉で行き場を失ったスピリチュアルな要素が逃げ込む場になっちゃったんです。
こういうのは、一般的に、普通の感覚で、田舎の少年から見ても、ダサいってのがあったんですよ。
ナウくない、ってことです。
|
"Cluster & Eno" Cluster & Brian Eno |
流行と模倣の関係はすごく重要なんです。
音楽の素養はないし、楽器も買えないけれど、ファッションだけでも真似したいとかって、重要なんです。
プレスリーと同じリーゼントにするとか、パンクの鋲付き革ジャンを着るとか、そういうのがあるでしょう。
シンセサイザー・ミュージックに影響されても、仙人や教祖みたいな恰好で街を歩こうとは思わなかったもんなあ。
だからなのか、ファッション番組でシンセサイザー・ミュージックを選曲する、なんてことはまず有り得ない。
モテるかモテないか、それだけです。
シンセサイザー・ミュージックはこの点が全く駄目でした。
流行は1970年代の末期から1980年代の前半くらいで、10年なかった、いや、実質5年もなかったかもしれません。
素人ではなく、玄人が模倣も含めて相互に影響しあったのがシンセサイザー・ミュージックなんだと思います。
そこからの脱却に成功した玄人の一人として、イギリスのブライアン・イーノ(Brian Eno)を挙げておきましょう。
クラシック音楽に縛られず、現代音楽に拘り過ぎることもなく、電子楽器をごく自然に受け入れることが出来た人。
シンセサイザー・ミュージックをテレビ東京の「ファッション通信」が喜んで選曲するようなスタイルへ導いた人です。
当時まだ曖昧な概念だった、アンビエント・ミュージック(Ambient Music)の先駆けですね。
|
Brian Eno is approached by Microsoft corporation to produce "Windows 95" start-up sound which is 6 seconds length in 1994. |
この、ウィンドウズ95の起動音で聴いたことのある人は多いかもしれません。
しかし何といっても、国内で彼の曲を耳にする機会があるとすれば、これが冗談ではなくて、葬儀場なんです。
公私を含めて今迄に何度かお葬式に出席していますが、兎に角よく使われてます。
あるいは、彼の曲の系譜を引き継ぐようなジャンルの音楽、ですね。
本来は、お葬式で流れてる音楽なんて誰も気にしません。
悲しみに暮れているのは勿論だし、あまりにも場違いでないかぎり、意識することはない訳です。
でもそれは、この時期のイーノにとって環境音楽とは何か、という本質に関わる重要なことだったんだと思います。
その場にいる人の感情を余計に刺激することなく、意識と無意識の境界線上にあるような音楽とは。
イーノは「部屋の片隅に置いてある花のような」と、書いてます。
部屋の風景に溶け込んでしまっている一輪の花。
誰も気がつかないけれど、しかし確かに其処に在る花。
そういう音楽があっていい、と。
こういう考え方はクラシック音楽でも、それこそ数百年前から数多の作曲家たちが考えていました。
でも、まだ登場したばかりで自己主張の強い電子楽器の音色で、イーノのように考えた人は少なかった。
電子楽器における環境音楽の思考錯誤は当時のイーノがほとんど済ませちゃってるんですよね。
日頃の生活の中で、お通夜でしか聴く機会がないというのは、あまりにも悲しすぎると思います。
|
"Apollo: Atmospheres & Soundtracks" Brian Eno |
本当に、参りました。
小学校の高学年くらいから、特に中学生ですね、その頃を思い出して参ってしまったんです。
ジャール、ヴァンゲリス、イーノを聴きながら、セーガン博士の本を読んでも難しくて寝入ってしまう。
そういう、鬱屈してて青臭くて、恥ずかしい時期だけれど、思い入れがあったことを再確認しました。
迷ったんですけど、紹介できて良かったと思います。
【 Note 】
20世紀の初頭、ヨーロッパにフューチャリズム(Futurism)という前衛芸術が発生する。
過去の美的感覚を捨て去り、新しい時代、未来へ向けた美的感覚を探求する運動だった。
例えば「機械は人類の到達した究極の美」という思想がファシズムと結びつき、各方面に多大な影響を与えた。
ポルシェの空気力学に基づく流線形のデザインなどは、その代表例だろう。
坂本が1986年に発表したアルバム「未来派野郎」で知り、背伸びしたいお年頃には最適な思想だった。
それは兎も角、イタリアのフューチャリストにルイージ・ルッソロという前衛芸術家がいた。
1913年に論文「騒音(雑音)芸術」を上梓、イントナルモーリ(騒音彫刻楽器)を開発して音の未来を追及した。
翌年に発表した曲「街の目覚め」は、未来の象徴だった自動車のエンジンを始動して始まる朝を表現している。
クラフトワークの「アウトバーン」より60年も早いのだから、細野が限界論を唱えるのも充分に理解できた。
|
Luigi Russolo and Ugo Piatti with the Intonarumori in Milano 1915 |
「俺は過去を捨てようとしているのに、過去が俺を捨てようとしないんだ」
スタンリー・スペクターに確かこんな台詞があったと記憶する。
なんでもあり、というが、本当になんでもありという自由はなかなか存在しない。
いろいろな物事に縛られながら、少しずつ、新しい物事が生まれていく。
イギリスのアート・オブ・ノイズ(Art of Noise)は、ルッソロの論文に由来している。
テクノ、あるいは電子音楽。
リアルタイムで聴いていた世代だから、情が入るのは勘弁してほしい。
シンセサイザー・ミュージックには、少年時代の諸々がいっぱい詰まっているのだ。
やっと、これでやっと、1970年代以前から抜け出せたかな、そう思えるようになったのは1980年代の中頃である。
&
|
"Who's Afraid of the Art of Noise" Art of Noise |
現在、電子音楽において権威ある賞、ルイージ・ルッソロ音楽賞は一般にほとんど知られていない。
(
Techno 5 : Russia 1-2 / February 20, 2014 )